豊田 兼(とよだ・けん)
2002年東京都生まれ。男子110m/400mハードル
桐朋高校卒、慶應義塾大学4年生(体育会競走部主将)。2023年、セイコーグループ株式会社とサポート契約を締結し、「Team Seiko」の一員となる。
110mH/400mHの2種目で目覚ましい活躍を見せるマルチハードラー。世界歴代で「13秒49以内&48秒49以内」を達成したのは史上6人目であり、日本人では最上位。
2023年8月に中国で行われた第31回FISUワールドユニバーシティゲームズの男子110mHで初タイトルとなる学生世界一に輝く。世界大会における男子110mHでの金メダルは世界陸上・オリンピックを通しても日本初の快挙。
同年9月に行われた日本インカレの400mHでは、48秒91で同着優勝を果たし学生日本一となる。10月には日本歴代6位となる48秒47を叩き出し、パリ2024オリンピックの参加標準記録(48秒70)を突破した。日本ハードル界のこれまでの常識を塗り替える期待のホープ。
四種競技で得た気づき「ハードルが得意だと・・・」
――陸上競技を始めたきっかけを教えてください。
小学校2年生のときに母の勧めもあって、クラブチームに入りました。人と競って走ることが好きだったので、近くのクラブを探したのがきっかけです。試合に出始めたのは小学校4年生くらいのときですね。
――陸上競技の中でもハードルを選んだ理由は何だったのでしょうか?
400m、110mH、走高跳、砲丸投の四種競技をやっていて、その中で110mHと400mが得意だと自分でも分かったんです。高校でも400mと掛け合わせれば、400mHもできると思い、ハードルを中心にやることになったという感じです。
――ご自身のどういう特長がハードルに向いていると考えますか?
ハードルは背が高い方が有利と言われているので、そういう意味で僕は有利かもしれません。高校に入学したころは170cm台後半でしたが、そこから1年で10cmずつ伸びて、190cmを超えるくらいになりました。背が伸びたことによって目線が高くなったので、跳ぶことにおいて気持ち的には楽になりましたが、逆に筋肉がなかなか追いつかなかった。ハードルにぶつかったときに転倒してしまったり、向かい風に突っ込んでいけないこともあったので、身長が伸びたのも良いことばかりではなかったですね。
両立することのメリット
――110mHと400mHを両立されていますが、何かきっかけはあったのでしょうか?
高校時代に最初は400mHを専門にやっていて、インターハイにも出ました。ただ、コロナ禍になり、競技場も使えなかったので長い距離を走る練習ができなくなってしまったんです。家の近くで練習していく中で、110mHにシフトしていきました。それで3年生のときはうまくいったんですけど、逆に400mHは結果を出せなかった。そうした状況で進学を考えるにあたり、せっかくなら両方やっていきたいと思い、慶應義塾大学を選んだという経緯があります。
――両立することのメリットとデメリットはどういう部分にあるのでしょうか?
難しいですね・・・。両立となると400mと400mHの方が親和性は高いと思います。110mHと400mHの両立はイレギュラーで、やっている人は少ない。ただ、ハードルを10台跳ぶというのは変わらないんです。ハードルの練習が共通しているということは、この2種目でのメリットではあるのかなと思います。
逆に難しいところはいっぱいあって、まずは速度感が絶対的に違うというのが一つです。110mHは歩数が詰まることが多いので、意識して刻まないといけない。400mHは後半に決められた歩数でなかなかいけなくて、ストライドを伸ばしていく。走り方を変えていく必要があるので、練習でもそれを調整するのが難しいです。
――そういう難しさもある中で、両立にこだわる理由は何かあるのでしょうか?
これまで両立している選手がいないこともあり、「できるのは自分しかいない」というプライドがあります。あとは、一方の種目でうまくいかないときに、もう一方の種目にフォーカスしたらうまくいくこともあるんですね。僕はできればハードル以外にも200mや400mのタイムも上げていきたい。大学2年のときに、400mに出場して良いタイムが出て、その翌週に110mHに出場したことがあるんですよ。そうしたら0.2秒くらいタイムを短縮できて・・・。ハードルの練習をしてきたわけじゃなかったんですけど、それでもタイムが出たということは、別の種目をやっていても、間接的に他の種目の調整も行えているんじゃないかというのは感じましたね。
400mHはまだ完璧にハマったレースがない
――2023年のユニバーシアードは110mHで金メダルを獲得し、10月にも400mHで48秒47をマークして、パリ2024オリンピックの参加標準記録を突破しました。
少し冷静になれたところはあるかもしれませんね。ちょっと前までは「もっとタイムを出せるはずだ」と思い、試合に出続けてはケガをしてしまうことがあったんです。実際に2023年の前半も世界陸上に出たくて、足が痛いのに日本選手権まで無理をしてしまった。そこで一度冷静になって、ユニバーシアードで優勝することを目指し、さらに10月の新潟の大会でタイムを出そうというスケジュールをコーチと立てました。それで練習を進めていったら、目標通りの結果を出すことができたんです。
――ご自身が理想とする走りができたレースを1つ挙げるとすれば、どのレースになりますか?
110mHはユニバーシアードの予選ですかね。今の自己ベスト(13秒29)なんですけど、そのときは今振り返ってもダメなところが思いつかなくて、現時点で最高の走りをできたと思っています。ハードルを1台も倒さず、インターバルも崩れずゴールできた。まさかそこまでのタイムが出るとは思っていなかったですし、あのレースは本当に理想的でした。 逆に400mHはまだ完璧にハマったと思えるレースがないんです。自己ベストの48秒47を出した2023年10月のレースが一番理想に近いとは思うんですけど、どうしても後半の残り3台のところで歩数を13歩から15歩にする必要があり、そこでまだロスしているんですね。ここのリズムを良くして、ロスをなくしたいと思っています。
――110mHも400mHも実力者がひしめき合っています。意識する選手はいますか?
110mHはタイムで言えば6番手くらいなので、自分よりも上にいる選手たちをまず目指しています。400mHも1歳上の黒川和樹選手が活躍されているのを見ていたので、まずは黒川選手に追いつきたいです。あとは以前、1カ月ほど日本陸連のプログラムでアメリカに行って、そこでライ・ベンジャミン選手と走ったことがあって彼の背中に付いていったんですが、最終的には置いていかれました。東京2020オリンピックで400mHの銀メダルを取っている選手ですが、一緒に走ったことで「追いつきたい」という気持ちが強くなりました。
「使命」を感じる東京2025世界陸上
――記録と向き合うことは精神的にも苦しみを伴うこともあると思います。日々、ご自身とはどのように向き合っていますか?
自分の走りを頭の中で想像するようなトレーニングはしています。その場の雰囲気や、どういう動きをしてどう走るのか。自分の走りはもちろん、他の選手が周りにいたときの駆け引きも予測しています。僕はけっこう緊張するタイプで、試合当日はネガティブに物事を捉えてしまうんです。でも、逆にそれでいいと思っていて・・・。悲観的になった方が細かいところまで突き詰められる。
ただ、レーンに立ったときはもう何も考えない。それまではネガティブになってきちんと準備するスタンスで調整しています。
――今年はパリ2024オリンピックが開催され、来年に東京2025世界陸上が行われます。ご自身が考える将来のロードマップはありますか?
東京2025世界陸上は大きなベンチマークで、最近は2026年に愛知で行われるアジア競技大会も見据えています。あと2028年のオリンピックの舞台はロサンゼルスですよね。奇遇にも陸連のプログラムで行ったアメリカの大学から数キロのところで開催されるんです。そういう縁もあるので、ぜひ出場したいと思っています。
――世界陸上が東京で開催される意義はどんなところだと感じていますか?
2007年にも大阪で開催されていますよね。僕はまだそのとき幼かったので記憶にはないんですけど、次いつ日本で行われるか分からないですし、このタイミングで、さらに東京で開かれるのは非常に貴重な機会だと思っています。僕にとっては、ここで絶対に結果を出さないといけないという「使命」を感じる大会です。
――自身が生まれ育った東京での開催ですね
自分のことを応援してくれる身近な人たちもたくさん見に来てくれると思います。そういう人たちに自分がここまで成長したというのをお見せできれば嬉しいですね。あと僕は改修される前の国立競技場で走ったこともあるんです。今回新しくなった舞台でしっかり自分が走っている姿を見せたいと思います!
よく読んでいた本は江戸川乱歩
――ここからはプライベートについてお伺いさせてください。休日はどのように過ごされていますか?
けっこうインドア派かもしれないですね。家でゆっくりしていることが多いです。家では映画を見たり、読書をしたりしています。
――最近観た映画で面白かったのは?
僕は『ハンガー・ゲーム』が好きで、原作も買ってしまいました。
――読書もけっこう好きなんですか?
そうですね。本屋や図書館でもタイトルが気になったらけっこう読んじゃいます。あとは移動時間ですね。特に飛行機では読書の時間と決めています。
――どんなジャンルの本を読むんですか?
昔は推理小説が好きで、江戸川乱歩をよく読んでいました。今は特定のジャンルはなくて、手に取ったものをどんどん読んでいる感じですね。最近は大江健三郎の『芽むしり仔撃ち』という本が面白かったです。本当は知人に勧められた本を探していたんですけど、本屋になくて、たまたま手に取って読んだのがその本でした。
――かなりの読書家なんですね。あまり若い人が手に取るような本でもない気がします。
いやいや(苦笑)。江戸川乱歩は両親の影響があるかもしれないです。家にけっこう推理小説があったので、それを読んでいましたね。
ヒートマップをつくるのが楽しかった
――最近ハマっていることはありますか?
僕が所属しているゼミの関係で、年末に3Dプリンターを購入したんです。そんなに高いものじゃないですよ(笑)。それでモデリングにハマっていました。
――何のゼミに入っているんですか?
バイオメカニクス(動作解析)のゼミに入っています。いろいろなことをやっている人がいて、それこそ3Dプリンターやセンサーを作っている人もいます。このゼミを選んだのは競技に繋がるからで、人間の動きをデータ化して、プログラミングするというのが面白い。ゼミの先生が開発した床圧センサーのようなものがあって、人間が歩いていく歩行が跡になるんですね。それをデータ化して、ヒートマップにするという課題があったんですけど、それを作るのが楽しかったですね。最初は全然うまくできなかった。でもいろいろと調べていくうちに、最後にはできたんです。すごく嬉しかった記憶があります。
――どちらかと言うと、理系ですか?
教科の中では英語が好きだったんですけど、最近はそれが分からなくなってきて・・・(笑)。高校生のときは理系だったんですよ。ただ、途中で世界史を勉強したくなっちゃって。高校のカリキュラムでは理系だと世界史が選択できなかったんです。じゃあ、文系にして世界史をやろうかなと。でも大学に入って、自分がいるSFC(湘南藤沢キャンパスの総合政策学部・環境情報学部を指す)はリベラル・アーツで何でも学んでいい学部なんですよね。いろいろ学問をつまみ食いしていく中で今のゼミに行きついて、理系寄りになっているかなと思います。
――なぜ世界史をやりたくなったんですか?
なんででしょうね(笑)。なんか面白そうだなって。世界の歴史とか何も知らなかったので、知っていた方がいいかなと思った感じです。
――練習も忙しいと思いますが、大学生活で楽しんでいることはありますか?
今は4年生なのであまりないんですけど、3年生までは授業に行くのが楽しかったですね。本当に取りたい授業を取れていたので、その内容やそこで会う友達と話すのが面白かったです。
憧れている選手、見習いたい選手
――陸上競技でおすすめの選手、あるいは好きな選手を紹介するならどなたですか?
小さい頃は、白人選手で初めて100m9秒台を出したフランスのクリストフ・ルメートル選手に憧れていました。110mHだと石川周平選手ですね。ハードルの上でも全然フォームがぶれないし、走りもずっと一直線に見える。体幹の強さやそういう動きは見習いたいとずっと思っています。400mHでは、オレゴン2022世界陸上で金メダルを取ったブラジルのアリソン・ドス・サントス選手です。身長2mの選手で、前半を12歩で行って、最後まで13歩で押し切る。体格も僕とけっこう似ているので、目指す選手の一人です。
――他種目の選手で参考にしたいと思った選手はいますか?
田中希実選手です。800mから長距離までやられていて、いろいろな種目にマルチに取り組んでいる部分は自分とも親和性があると思います。どの種目でも結果を出されていて本当にすごいです。 あとは400mの佐藤拳太郎選手。ケガもあった中で走り方を変えて、日本記録を昨年出しましたよね。合宿で実際に一緒走ったこともあって、タイムを出すための調整能力がすごいなと感じました。
――最後に東京2025世界陸上を楽しみにしている読者の皆さんへメッセージをお願いします!
東京で開催される世界陸上は、観に来てくださる方も多いと思います。その舞台で決勝に進出して、さらにメダル争いをできるくらいまでに成長していきたいです。ぜひ応援をよろしくお願いします!
Instagram:kentoyo_olivier
《Team Seiko》
Web:https://www.seiko.co.jp/sports_music/sports/team_seiko/
《セイコースポーツ》
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《慶應義塾体育会競走部》
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text by Moritaka Ohashi
photographs by 椋尾 詩