佐藤 正樹(さとう・まさき)
1993年山梨県生まれ。
山梨県立甲府工業高等学校を卒業後、自動車会社に8年間勤務。現在はケイアイスター不動産株式会社「ケイアイチャレンジドアスリートチーム」に所属。
世界ろう者柔道選手権大会では2021年に準優勝。続く2024年には自身初の金メダルに輝き、ついに世界の頂点に立った。
競技生活と並行し、教員免許取得を目指し2017年に星槎大学(通信制過程)に入学。6年間の学修を経て、中高保健体育・特別支援学校の教員免許を取得。
日本デフ柔道を牽引する存在として、そしてろうの子供たちのロールモデルとして自身を確立すべく、東京2025デフリンピックでの金メダル獲得を目指している。
きこえる友だちが初めてできた
――はじめに、柔道とデフ柔道の違い、またはデフ柔道ならではという特徴を教えてください。
試合で審判が「待て」をするとき、デフだと選手は声がきこえないから体をポンポンと叩いて知らせてくれます。そこが一番大きな違いかなと思います。あとは柔道とほとんど変わらないですね。
――佐藤選手が柔道を始めたきっかけは何だったのでしょうか。
私は3人兄弟の次男なのですが、5歳のときに一番上の兄の影響で柔道を始めました。柔道着がカッコいいなと思って、兄の柔道着を奪ってしまったんです。柔道着そのものがカッコいいと思って(笑)。小さいころは戦隊ヒーローとか仮面ライダーが大好きで、柔道着を着れば私もヒーローになれる気がしたんです。それでお兄ちゃんの柔道着を取っちゃって、もう私が泣いて渡さないものだからお母さんも諦めちゃって。それでそのまま柔道着を自分のものにしてしまったのが柔道を始めるきっかけでした。
――5歳のころから柔道を始めて、思い出に残っている印象的な出来事を教えてください。
小学1年生のときに初めて大きな大会に出場して優勝することができたのですが、周りの先生たちや保護者の方たちが泣いていたんです。それを見て、私が頑張っている姿を見せることで感動を届けられるのだなと思いました。また、そのときにもらったメダルとトロフィーを学校に持って行って優勝を報告したら、みんなから「すごいね!」って言ってもらえて。そこで初めて、耳のきこえる友だちができたんです。
――それは嬉しいですね。
はい。私自身、小さい頃は1週間に1日だけ幼稚園に通っていて、それ以外はろう学校に行っていました。だから幼稚園ではなかなか友だちができなくて、そのまま小学校に上がったので半年間ぐらいは友だちがいませんでした。そんな状況だったので、柔道の優勝がきっかけで初めて友だちができたときはすごく嬉しかったですね・・・。柔道をやっていて本当に良かったです。
粘って、粘って、最後に勝つ
――佐藤選手の柔道のスタイルを教えてください。得意な技などはありますか?
私の柔道は粘り強い柔道だと思います。とにかく攻める、色々な技を仕掛ける。何か一発で決めるのではなくて、粘って、粘って、最後に勝つ。そんなスタイルだと思います。背負い投げや寝技、色々な技を使っています。
――本日は東京学芸大学で取材させていただいていますが、普段からこちらで練習をしているのでしょうか?
はい、そうですね。今、私は静岡県の三島市に住んでいるので頻繁に行くことはできないのですが、月に3、4回くらいはこちらで稽古させていただいています。東京学芸大学の柔道部の監督がデフ柔道のコーチをしているという縁があって、ここで練習させていただくことになりました。
――東京学芸大学以外では、普段はどのような練習をしているのでしょうか。
三島市では地元の高校で練習しています。若い学生の力を借りながら一緒に練習しているのですが、やっぱり高校生、大学生は体力がすごいので、それについていくのが精一杯(笑)。でも、逆に言うとそれがスタミナの強化につながったり、技を磨けるいい稽古になっています。自分自身が本当に鍛えられていますね。
東京で勝つために、夢を叶えるために転職
――では、ここからは世界選手権などのお話をお伺いしたいのですが、佐藤選手が世界を意識し始めたのはいつごろでしょうか?
実は高校卒業後、柔道からしばらく離れていました。そんなときにデフ柔道のアジア大会(アジア太平洋ろう者競技大会)があると教えていただいて、それをきっかけに出場してみたんです。2015年でしたから今から9年前、これが初めての国際大会でした。でも、なにせ4、5年ぶりの柔道だったので、半分は思い出づくり(笑)。それでも優勝してしまったんです。そのときは優勝して嬉しいという気持ちよりも、逆にもっと頑張らないといけないな、まだまだ私は柔道がやれるなという気持ちが芽生えて、また柔道を再開することになりました。
――高校を卒業してから柔道を一時期やめていたのですね。それはどのような理由があったのでしょうか?
5歳から高校卒業までずっと柔道をやっていたので、もうお腹いっぱいに・・・(笑)。小、中、高と勝つための練習を積み重ねていたので、毎日、毎日練習。それで「もう柔道はいい!」って思ってしまって。それに、もっと遊びたい!という気持ちが強くなっていました(笑)。
――初めての国際大会出場をきっかけに再び柔道に対する気持ちに火がついたわけですね。その後、2021年の世界ろう者柔道選手権大会で銀メダル。佐藤選手にとって初めての世界大会でした。
コロナ禍ということもあって、なかなか練習ができない環境でした。銀メダルをとれたことは嬉しかったのですが、やっぱり優勝を目指していたので悔しかったというのが正直な感想ですね。
――世界各国のデフ柔道選手のレベルはどのように感じましたか?
思った以上にレベルが高かったですね。私自身、2025年に東京でデフリンピックが開催されると分かったとき、この大会で優勝するために環境などを変えようと思い転職もしたんです。2021年の世界大会は転職をしてから初めての国際大会だったのですが、もし環境を変えないままだったらメダルをとることも無理だったと思います。それくらいレベルの高さを実感しましたね。
――東京2025デフリンピックで優勝するために転職をしたというのは驚きです!
はい。それも大きな理由だったのですが、もう一つ、私は高校生のときに「ろう学校の先生になりたい」という夢を持っていました。でも、大学に行くお金がなかったので、その夢をあきらめていたんです。ですが、やっぱり夢はあきらめちゃいけないなと思って、教員免許を取るために通信制課程の星槎大学に入学したんです。そういう状況でもあったので、夢の実現に向けて、いつかは環境を変えるつもりでいました。
スポーツの力で手話を広める
――佐藤選手は2022年にブラジルで開催された前回のデフリンピックにも出場しています。5位入賞という結果に終わりましたが、やはりこれは悔しい結果でしたか。
はい。本当に悔しかったですね。その前の世界大会で2位をとれたことが気の緩みにつながったんだと思います。あらためてデフリンピックで勝つことの難しさを痛感させられましたね。
――その悔しさも込めての来年の東京大会ということになりますが、東京でデフリンピックが開催される意義については今、どのように考えていますか?
デフリンピックではやはり手話が一番のメインになると考えています。手話を社会に広めていくためにはデフリンピックが必要――言い換えますと、スポーツによって手話を広めていくことができるのではないかと思っています。だから、東京で開催されることによって、デフリンピックの存在を日本中に知ってもらえることに大きな意義があるのではないかと私は考えています。
――では東京2025デフリンピックは佐藤選手の競技人生、あるいは人生そのものにおいてどのような舞台になると考えていますか?
デフリンピックで金メダルをとることができれば、歴史にも残っていくことになるのかなと思っています。なので、金メダリストとして名前が残せるように、1年後に向けて一生をかけて練習に取り組んでいるところです。4月の世界選手権では結果として優勝できましたが、まだまだ課題がたくさん見つかりました。それを一つずつ修正するために、現在はいろいろと取り組んでいるところです。
他国の選手との「心の交流」、それが楽しみ
――今、佐藤選手自らお話ししていただきましたが、今年4月にカザフスタンで開催された第2回世界ろう者柔道選手権大会の男子66kg級で見事に金メダルを獲得。初めての世界一になった感想を教えてください。
前回大会での2位という悔しい結果を受けて、そこからいろいろと自身の行動や生活習慣を見直して変えていったのですが、それがやっと報われましたね。私が優勝することで、きこえない子どもたちが「カッコいいな」と思ってくれるような、憧れのろう者の先輩としての姿を見せられたとしたら嬉しいですね。ろうの子供たちの親御さんに対しても、「きこえなくても人生は明るいんだよ」ということを表現できたのではないかなと思っています。
また、今回の大会に向けて派遣や強化合宿の実施などに尽力していただいた日本ろう者柔道協会、さらにデフ柔道をバックアップしていただいている全日本柔道連盟には本当に感謝しかありません。
――そんな佐藤選手の活躍をもっと見たいと思っている人はたくさんいると思います。東京2025デフリンピックではどのような姿を見せたいですか?
まずはしっかりと「礼」をする。そして相手を「敬う」。そうした柔道の素晴らしさを広めたいと思っています。きこえない人や子供たちの数は限られていますが、一方でスポーツの種類はたくさんあるので、その中で少しでも柔道を選んでいただけるように柔道の素晴らしさをアピールしたい。その結果、デフ柔道がさらに発展してくれたら嬉しいなと思います。
――東京2025デフリンピックで試合以外に楽しみにしていることはありますか?
いろいろなデフアスリートと交流できることですね。前回のカシアス・ド・スル大会がコロナ禍で行動制限があったので、本当はたくさん交流したかったのに叶いませんでした。だから今度は他の競技、他の国の選手たちとたくさんコミュニケーションを取りたいです。今は国際手話を頑張って覚えているのですが、実際に海外の選手と会ってコミュニケーションを取らないと、身につけるのはなかなか大変なのかなと思っています。それでも“心の会話”はできると思っているので、今はそれが楽しみですね。
新婚ホヤホヤ、妻と二人三脚で目指す金メダル
――ここからは佐藤選手のプライベートに関してお聞かせください。休日はどのように過ごしていますか?
わたくし事なのですが、最近結婚したので妻と一緒に旅行に出かけたりすることが多いですね。
――実は佐藤選手のご結婚のことについてぜひともお聞きしたいと思っていました(笑)。今年の5月13日にSNSで発表されたばかりの新婚ホヤホヤ。結婚生活はいかがでしょうか?
妻は私のことをよく理解してくれる人で、手話を覚えてくれたり、最近になって柔道を始めたんですよ。
――え!? それはすごい!
習い始めてからまだ3回目なのですが、頑張れば伸びると思いますよ(笑)。妻は黒帯を取ることを目標に頑張っているので、私も一緒にサポートしながら上達するように技を磨いているところです。
――へぇー、いい奥さんですね。うらやましい限りです。奥さんはどのような人ですか?
本当に明るくて、無駄にポジティブです(笑)。また私自身、独身時代のこれまでは大会前の減量でピリピリすることも多かったのですが、今は妻が癒してくれるのでピリピリすることもなくなりました。なので4月の世界選手権のときには、あらためて妻の存在が大きいなと感じましたね。
――本当に素晴らしい人と結ばれましたね。ということは東京2025デフリンピックへ向けても二人三脚ですね。
そうですね(笑)。付き合っている時から喧嘩も全然したことがないですし、本当に穏やかで優しい人です。妻は料理上手なんですが整理整頓がちょっと苦手。一方、私は整理整頓が好きな方なので、お互いに足りない部分を補っている関係だと思います。
パンケーキが大好物です!
――本当に良い関係ですね。では、佐藤選手が最近ハマっている趣味などはありますか?
うーん、そうですね・・・やっぱり妻と一緒にいることですかね(笑)。夫婦で一緒にどこかに出かけることが今の趣味になっています。例えば、出かけた先でちょっと悪いことがあったとしても、お互いに笑い合えることができるんです。だから、妻と一緒ならどこに行っても楽しいですし、どこにでも行けると思いますね。
――佐藤選手はパンケーキが大好物ともお伺いしました。パンケーキの魅力を教えていただけますか?
やっぱりお腹いっぱいになるところがいいですね。ほかのスイーツでは食べ足りないんです。柔道をやっているとエネルギーの消費がすごくて、甘いものをたくさん食べたくなるのですが、アイスやプリンだと食べ足りない。でも、パンケーキだったらお腹いっぱいになりますからね。今は2週間に1回くらいの割合で食べています。
――おすすめのお店などはありますか?
静岡県三島市に「たまご専門店 TAMAGOYA」というお店があるのですが、そこが美味しいですね。名前の通り、卵料理専門のお店なのですが、そのお店専門の卵を生産しているみたいで、その卵を使ったパンケーキがすごく美味しいんです。
刺激を受けているアスリート
――ではここで話題をガラリと変えまして、佐藤選手は現在、「ケイアイチャレンジドアスリートチーム」に所属していますが、チームのメンバーから刺激を受けることも多いですか?
そうですね。4月の世界選手権の前にデフフットサルのワールドカップがブラジルで開催されて、女子の日本代表に選ばれたチームのメンバーが世界一をとったんです。それが私にとっては非常に大きな刺激になりましたね。
――「ケイアイチャレンジドアスリートチーム」の中で特に面白いと思う選手はどなたですか?
チームには私のほかに8名のパラ・デフアスリートがいるのですが、皆さん本当に魅力的で尊敬できる人たちばかりです。その中でも面白い選手と言えば、車いすバスケとバドミントンを兼ねてプレーしている森紀之選手ですね。森さんは東京2020パラリンピックのときに車いすバスケのテレビ解説をしていた方なので、口が大変達者です(笑)。年齢はもう50歳を超えているのですが、生涯現役アスリートとして励みたいという姿勢がカッコいいおじさんだなぁと思いますね。
「きこえないことも個性なんだ」
――では、スポーツ選手に限らず、佐藤選手がこれまでに最も影響を受けた人はどなたでしょうか?
高校時代の担任の先生です。私は中学生のとき、耳がきこえないということを受け止めきれず反抗的になっていたんですね。それから、高校に入学して出会った担任の先生が教えてくれたひと言があります。それは「足が速い人も遅い人もいる。きこえないことも個性なんだ」。その言葉で、今まで悩んでいたことを吹っ切ることができたんです。
――それは良い言葉ですね。学校の先生と言いますと、先ほど佐藤選手も教員免許を取るために通信制の大学に通ったというお話をしていただきました。将来は教壇に立つことも考えていますか?
去年、教育実習に行く機会が2回ありまして、1校目は中学校、2校目はろう学校でした。1校目ではきこえる人たちに囲まれての教育実習だったので大変だったのですが、先生方や生徒たちが助けてくれたり、手話も覚えてくれた結果、「学校の雰囲気が大きく変わった」という言葉をいただいたんです。私が学校にいることで、ろう者とのかかわりに対する気づきを得てもらった。存在意義を示せたのかなと思いました。
2校目のろう学校では、ろうの先輩としてのロールモデルを見せることができたのではないかと思います。きこえる先生がろうの生徒に大事なことを伝えても響かないこともあるのですが、私が伝えることで彼らの心に刺さる。きこえる人が言うのと、彼らと同じ立場の私が言うのでは、受け止め方が全然違うんですね。親御さんに対しても、ロールモデルを示すことで将来を安心していただけるという使命が、私にはあるのではないかと思っているんです。
ただ、教員のほかにもやりたいことがたくさんあるんです。デフ柔道を広めたい。それから、今までの経験をたくさんの人に伝えたいですし、きこえる方々に手話を広めたい。あとは、ろう者の理解者をつくっていきたいなど・・・。自分が一番やりたいことはどの道なのか、何ができるのかで悩むことがあります。それって、すごく幸せな悩みですよね。これから私自身もいろいろな経験をしていく中で、将来何を一番やっていきたいか。一緒にいてくれる妻や周りの方々とともに日々を重ねながら、考えていきたいと思っています。
金メダル宣言「ぜひ会場で手を振ってください」
――佐藤選手が次世代の子どもたちに伝えたいことは何でしょうか?
柔道は誰もが平等に楽しめる競技だと思っています。組んでしまえばみんなが平等。視覚障害や知的障害の人でも一度組んでしまえば、みんなと同じように柔道ができる。そして、人間教育ができる柔道の素晴らしさを伝えていきたいです。
ただ、「柔道は楽しい」と感じてもらうにはどうすれば伝わるのか。これは柔道の先生方も悩んでいることです。柔道はどうしても経験者との差がありすぎることもあって、未経験者の方には「私には無理、できない」と思われてしまいがち。最近、妻が柔道を始めたということもあって、そのことが私としては心に引っかかっているんです。なので、誰でも柔道が楽しいと思ってもらうためにはどうすればいいか。それをこれから皆さんと一緒に考えて、伝えていきたいなと思っています。
――そのあたり、奥さんの意見やアイディアが何かヒントになるかもしれないですね。それでは最後に東京2025デフリンピックを楽しみにしている読者の皆さんへメッセージをお願いします。
まずはデフリンピックを見てください。そして、私は優勝して金メダルをとる予定なので、会場で優勝シーンを見てくださった方はぜひ手を振ってくださいね(笑)。皆さんと会場でお会いできるのを楽しみにしています!
Instagram:masaki.sato.3139
《ケイアイチャレンジドアスリートチーム》
Web:https://www.athlete.ki-group.co.jp/
Instagram:ki_athlete
text by 森永 淳洋
photographs by 椋尾 詩