佐々木 琢磨(ささき・たくま)
1993年青森県生まれ。男子100m・4×100mリレー日本デフ記録保持者
盛岡聴覚支援学校高等部、仙台大学卒。現在はアスリート雇用契約で、母校の仙台大学にて教職員を務める。
八戸ろう学校中学部で陸上競技を始め、盛岡聴覚支援学校高等部3年時に全国ろう学校陸上競技大会で100m、200m、4×100mリレーで優勝。仙台大学在学中に出場したソフィア2013大会を皮切りに、デフリンピック3大会連続出場中。
サムスン2017大会では4×100mリレーのアンカーを務め金メダル獲得に貢献。カシアス・ド・スル2022大会では100mで悲願の世界一に輝く。
仕方なく始めた陸上競技。走るほどに生まれた「ありがとう」の気持ち
――陸上を始めたきっかけを教えてください。
ろう学校の部活動が陸上部しかなかったんです。それで仕方なく陸上部に入ったのが、競技との出会いです。最初はそこまで真剣にやってはいなかったんですが、中学3年生のときに、東北のろう学校体育大会に出て、そこで岩手の友達と会ったんですね。その友達から高校には全国ろう学校体育大会があるというのを聞いて、リレーで一緒にメダルを取ろうと約束したんです。それから一生懸命取り組むようになったという感じです。
――陸上競技と出会ったことで、人生はどう変わりましたか?
走れば走るほど、そして結果が出れば出るほど、自分の中で変化があったことを感じます。どうすれば人を笑顔にできるか、どうしたら元気や勇気を与えられるのか。例えば自己ベストを出したり、メダルを取ったりすると、友達から「おめでとう、琢磨」とお祝いのメッセージが来る。「琢磨が頑張っているから、自分も頑張らないといけない」「勇気や希望をくれてありがとう」と言ってくれる。そう言われると、自分も何か不思議なパワーが湧いてくるんです。「また走って、もっと良い結果を出そう」と思うし、それがどんどん積み重なってきました。
――競技を続けるほど、人間としての成長を実感しますか?
そうですね。感謝の気持ちが大きいです。陸上を始めたころは、ただ仲間と一緒に走りたいという思いだけしかなかった。でも今は「ありがとう」という気持ちを込めて、走れるようになりましたし、試合を積み重ねるほどその気持ちが強くなっていきました。実際にそれをはっきり感じたのは、カシアス・ド・スル2022デフリンピックの100mで金メダルを取ったときですね。そしてもう一つは、聴者も出る青森選手権で優勝して、国体の代表に選ばれたときです。きこえる人が多くいる中で、きこえない人が勝って、代表に選ばれた。それは手話通訳者、ろうの仲間、一緒に練習している仲間、親といった私に関わるすべての人たちに意味のあることでした。きこえる人に勝ったことで「自分にもできるんだと思えた」という声をたくさんいただきました。
デフリンピックに出場して見えた新たな壁
――「デフリンピックを目指そう」と思ったのはいつごろですか?
高校1年生のときですね。2009年10月に全国ろう学校体育大会があって、その1カ月前に台北2009デフリンピックが行われました。そのデフリンピックの男子ハンマー投げで優勝した森本真敏選手が、全国ろう学校体育大会に出場していたんです。彼だけ体がものすごく大きくて、「JAPAN」のロゴが入っているジャージを着ていて。それを見て、初めてデフリンピックの存在を知りました。インターネットで調べたら、ろう者のオリンピックということが分かった。そこで、新しい夢が生まれたんです。
――それから4年後のソフィア2013デフリンピックに初出場しました。
正直、複雑な気持ちでした。大会前からケガを繰り返していて、我慢しながら続けて当日を迎えてしまった。練習もあまりできず、不安の方が大きかったです。でも良いこともあって、世界のレベルを初めて知ることができました。200mと4×100mリレーに出場して、200mは予選敗退。私の専門は100mで、観客席から見ていたんですが、ウクライナの選手の走りとタイムが素晴らしくて。自分との技術の差をすごく感じましたね。大きな舞台で100mの決勝を見たのは初めての経験で、鳥肌が立ちました。自分もその舞台に立ちたいと思いましたし、金メダルを取った選手に勝ちたいという気持ちが芽生えたんです。ソフィア2013デフリンピックに参加できて本当に良かったです。
――サムスン2017デフリンピックでは4×100mリレーで金メダルを獲得しました。
アンカーで走ったんですが、金メダルだと分かった瞬間はすごく嬉しかったです。デフリンピックでやっと世界一になれた。ただそういう喜びもあった一方で、それは本当の夢ではなかったんです。私が目標としているのは「100mで金メダルを取ること」。サムスンの100mでは7位でしたし、悔しい思いをしました。リレーでは金メダルを取れましたが、また新たな壁ができたんです。「これ以上、速く走れないのではないか」、闇雲に練習していても「もう無理ではないか」と限界を感じてしまった。そんなときに新しいコーチとなる名取英二先生と出会いました。2018年3月のことですね。名取先生が学生に指導している様子を見て、「このコーチに教わったら、金メダルを取れるんじゃないか」というオーラみたいなものを感じたんですよ。それで「私を指導してください!」と直談判して、名取先生に指導を受けられるようになりました。
恩師の言葉でゾーンに入った100m決勝
――名取先生に指導を受けて変わった部分は?
一番変わったのは、コミュニケーションの部分です。名取先生は言いたいことを伝えるときの表現がとても分かりやすい。走っているときに体が左右に傾いているなどシンプルでイメージしやすいアドバイスだったり、その先の技術面でも奥深い指導が多かった。自分の足りていない部分や課題についての解決方法を教えていただき、自分でも気づきを得られた。そういう日々を積み重ねた結果、タイムも伸びたし、体力もつき、メンタル面も安定しましたね。名取先生とは長い間一緒にやってきた絆がある。そのおかげで私は自信を持つことができました。
――メンタル面はどう変わりましたか?
もし名取先生の指導がなかったら、カシアス・ド・スル2022デフリンピックの100mで金メダルは取れなかったと思います。準決勝の全体タイムは4位で、メダルが取れるか分からない状態でしたが、決勝に向けてアップをしているときに名取先生が言葉をかけてくれて。その言葉というのが「今まで頑張ってきたことを信じなさい。琢磨ならできるよ」。そう言われて「本当にそうだな」と。「もうやるしかない。勝つのは俺だ」という気持ちで挑みました。
そしていざレーンに立ち、「セット」というスタートランプの黄色が光ると、周りの景色が青空にいるような真っ青に変わったんです。スタートして目に入ったのが美しい小さな太陽で、走れば走るほどその太陽が大きくなり、80mあたりで右隣のレーンにはソフィア2013デフリンピック100m王者がいました。彼は実際、白と青のユニフォームを着ていたのに、眩しい黄緑色に見えた。それは彼のソフィア2013大会のときのユニフォームでした。その1秒もない最高の景色に感動しながら、彼に勝って世界一になることを目指し、努力してきたからこそ「最後の最後に勝つのは俺だ!」という想いとともに、これまで私を支え応援してくれた多くの方々が背中を押し、パワーをくれた感覚があって。今でも鮮明に覚えています。それでゾーンに入ることができたんです。
――カシアス・ド・スル2022デフリンピックの100mで金メダルを獲得したときに、芽生えた感情はどのようなものでしたか?
長い間、夢に描いていました。2009年にデフリンピックを知って、2013年に初めて出場して負けた。2017年は4×100mリレーで金メダルを取れましたが、100mでは悔しい思いをした。100mで金メダルを取りたいという思いで、練習を積み重ねて、やっとゴールにたどり着いたんです。自分の夢はすべて叶った。その達成感はものすごくありました。
でも・・・しばらくしてから、次は何を目標にして頑張ればいいのか、夢がなくなってしまったんです。モチベーションがなかなか上がらず、練習にも身が入らない日々が続きました・・・。 そのとき、周りの皆さんから応援の声をもらって。その声が、やはり自分が走ることでみんなに元気を与えることができると気づかせてくれたんです。以前は自分の夢を追い続けていましたが、今は自分の頑張る姿をみんなに見せたい。それが夢に変わっていきました。
東京では「世界デフ記録更新」と「三冠王」
――昨年10月の国体には、デフの短距離選手として初めて青森県代表で出場しています。
有名な選手がたくさんいました。見るだけで「力も技術も違うな」と分かるんです。ただレースになったら、「もうやるしかない」という気持ちで走りました。結果は予選で負けてしまい、非常に悔しかった。でもその経験があったから、どうしたら勝てるかを考えるようになりました。とにかく名取先生の指導を信じよう・・・と。名取先生は若いときに日本選手権で3連覇している。その言葉を信じれば自分もきこえる人に追いつき、勝つことができる。そうした感覚が自分にあるんです。
――今年7月に行われた世界デフ陸上では、4×100mリレーで世界デフ記録を更新しての金メダル。対して100mが5位入賞、200mが準決勝敗退という結果となりました。
100mの結果が良くなかったことが糧となっています。カシアス・ド・スル2022デフリンピックで優勝してからはライバルがいなくて、モチベーションが湧かなくなっていました。だからきこえる人の大会に出て、そこで頑張ろうと思ったんですが、やはり限界はある。レベルが高いので、追いつこうと思ってもなかなか追いつけない。モチベーションを保つことがすごく難しかったです・・・。
ただ、デフの大会で負けたことで、新しいライバルができた。今はそのコロンビアの選手(Gian Marco Andrade Mosquera選手)に勝ちたい気持ちが非常に強いです。そこで負けたことが、東京2025デフリンピックを戦うことの強いモチベーションにつながっています。
――デフリンピックはご自身にとってどのような場所・舞台だと感じますか?
デフリンピックはやはり特別なんです。レベルの高い大会ではコンディションが悪いと良い結果や記録は出せない。でもデフリンピックになると、コンディションが悪くても良い結果を出せるんです。不思議ですよね(笑)。デフリンピックはきこえない選手の大会で、みんなが手話を使っている。私は手話が第一言語であり、それで生きています。きこえる大会ではサポートをする人が必要になる。でも、デフリンピックでは自分が主になれる。それが特別だと感じます。
ハマり過ぎる性格。妻にいつも怒られています(笑)
――ここからは佐々木さんのプライベートな面をお伺いさせてください。休日はどのように過ごされていることが多いですか?
もう30歳なので、遊びに行く回数は減りましたね。出かけると疲れちゃうので(笑)、家でゆっくりしていることが多いです。Netfrixで映画を観ていたりしますね。最近ハマっているのはガンダムです! 小学生のときにテレビでガンダムを観ていたんですけど、当時は字幕がなかった。動きだけで内容を理解するしかなかった。でも今は(Netfrixに)字幕もついているので、内容も分かるのが嬉しいですね。今年1月に公開された「機動戦士ガンダムSEED FREEDOM」の映画はもう5、6回繰り返し観ています(笑)。ガンプラもやり始めちゃいました。あとはゲームをやったり、友人と会って食事をすることもありますね。
――どんなゲームをやっているんですか?
以前は『ロックマンエグゼ』をやっていました。シリーズが1から6まであって全部やりました。あとは『メダロット』ですね。小学生のときはメダロットの会話が分からなかったので、戦いを楽しむくらいだったんですが、今はそれも分かるので、新しい楽しみが生まれました。
――1日どれくらいの時間やっているんですか?
やり過ぎるレベルです(笑)。朝、昼、夕方とゲームして、寝る前もしているので、いつも妻に怒られています。「ハマり過ぎ!」と。オンとオフの差が激しいんですよ。B型なので(笑)。一つのことにハマり過ぎてしまう。前は釣りやスノーボードにもよく行っていました。同じことを繰り返すのが好きで、漫画の『進撃の巨人』もハマって何度も読んでいます。
100m決勝の前だけは誰とも喋らない
――ルーティンは何かありますか?
挨拶をして、誰かとお喋りすることですね。自分から挨拶をしないと、元気が出ない。元気を出すために積極的に挨拶するようにしています。海外にいても日本にいても同じようにできるのが『挨拶』ですよね。左手を挙げて「よっ」という感じで。名取コーチに対しても「よっ」です。年齢関係なく、仲が良いということで(笑)。 ただ、むしろこだわりがあると難しい部分もあると思っています。デフリンピックに出場するまでは、試合前日の夜に納豆ごはんを必ず食べるというルーティンがあったんですが、外国に納豆はないですよね。いつも通りの生活ができなくて、気持ちよく走れなかった。それから、こだわりを持たなくなりましたね。
――レース前でも、一緒に試合に臨む選手とお話したりするんですか?
アップは、交流の場でもあるんです。アップのときしか話す機会がない。外国の友達もたくさんいるし、できるだけ声をかけて話すようにしています。ただ、100m決勝の前だけは喋りません。「勝つのは俺」って思っているので、誰とも喋らない(笑)。ライバルを目で見ながら、バチバチっていう感じです。
日本で戦う真樹と、世界で戦う真樹は別人
――自分以外で、おすすめの選手を紹介するならどなたですか?
一番はやはり(山田)真樹ですね。会うだけでお互い燃えてくる(笑)。そういう存在は大きいです。あとは、先ほども言った世界デフ陸上100mで優勝したコロンビアの選手ですね。彼は、私がカシアス・ド・スル2022デフリンピックで金メダルを取ったときに、2位だった選手です。世界デフ陸上では負けてしまったんですが、「あなたがいるから今の私がいる」と言葉をかけられて、すごく嬉しかった。感謝を伝えましたし、「また一緒に走ろう」と彼も言ってくれました。ライバルだけど、仲間でもある。来年、東京の舞台でまた勝負できると思うので、彼のことも皆さんに知ってもらいたいですね。
――山田真樹選手の魅力はどんなところだと感じますか?
やろうと思ったことを本当にできる人ですね。日本で戦う真樹と、世界で戦う真樹は別人なんです。デフリンピックでは、特に。200mだと日本での真樹は22秒台が多いんですが、世界に行くと21秒台を出す。本当に天才だと思います。緊張感が高い世界大会の方が明らかに結果が出る。日本では、いつもの延長線上で走ってしまう。それが真樹です(笑)。日本での真樹には勝てるけど、世界での真樹になると負けるかもって思うときがありますね。
仲間と、ライバルと、成し遂げるデフリンピック
――若手で気になる選手はいますか?
同じ仙台大学の後輩で、いつも一緒に練習している長谷川翔大(はせがわ・しょうた)選手です。あだ名は「ショープル」。10年前、彼が小学校5年生のときに手話サークルで初めて出会いました。そのときの彼を見て、何だか昔の自分を見ているように感じました。彼には夢がなかったんです。 それから彼にいたずらをしました。そうしたら、彼も私にいたずらを仕返すようになったんですよ。そこから彼も陸上を頑張るようになってきて。そしてどんどん力を伸ばしてきて、仙台大学に入学してきました。気づいたらすごく速くなっていた。8月の頭に100mで初めて10秒台の自己ベストを出したんです。今年度の日本デフ陸上100mのランキングで、ショープルは3番目です。彼もデフリンピックに選ばれる可能性があります。彼の良いところは諦めが悪いところ。何としてでも勝ちたいという気持ちがすごく強い。だから私にどんどん追いついてきている。彼の中の最終目標は、私に勝つことらしいです。
――東京2025デフリンピックでの目標を教えてください。
目標は二つあります。一つが100mで世界デフ記録(10秒21)を更新すること。デフリンピックでそれを成し遂げたい。もう一つは三冠王です。100m、200m、4×100mリレーで3つの金メダルを取りたいと思っています。真樹にもショープルにも勝って、そしてともに成し遂げたいですね。
皆さんには会場でその姿を観てほしい。私たちデフアスリートが輝く最高の舞台、皆さんの最高の応援をよろしくお願いします!
Instagram:stt3011
《日本デフ陸上競技協会》
Web:https://www.j-daa.or.jp/jdaa/
Instagram:jdaa2002
text by Moritaka Ohashi
photographs by 椋尾 詩
- Q1.生年月日
- 1993年11月30日
- Q2.趣味
- ネタを集めること
- Q3.特技
- 人を笑わせること
- Q4.ニックネーム
- タクマ
- Q5.好きなアーティストや著名人
- 吉高 由里子
- Q6.好きな食べ物・嫌いな食べ物
- 好き→ラーメン 嫌い→チーズ
- Q7.仲良し・好きな選手
- 山田 真樹
- Q8.好きな言葉
- 人を信じる
- Q9.ズバリ東京2025での目標は!
- 世界新記録を出す!
- Q10.最後に一言
- デフリンピックを観に来てください!!
インスタグラムにて質問回答ムービー公開中!
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