丸山 優真(まるやま・ゆうま)
1998年大阪府生まれ。男子十種競技 日本歴代3位(8021点)
大阪府立信太高等学校、日本大学卒。2021年4月より住友電気工業株式会社所属。
高校3年時に八種競技で日本高校記録を樹立。大学でも順調に記録を伸ばしていたが、3年時に胸椎椎間板ヘルニアとなり競技生活が危ぶまれる。その後2020年から2022年までの3年間は治療をしながら競技を続ける。
2023年、大きな怪我を乗り越え、自身初となる日本選手権優勝に輝く。そして日本代表に選出されアジア選手権優勝、ブタペスト2023世界陸上出場と、国内で傑出した存在へと成長する。
2024年には日本選手権を連覇し、日本歴代3位となる8021点をマーク。東京2025世界陸上で歴史を塗り替えられるか。期待高まる日本十種競技界のホープ。
増えていく種目、増えていく喜び
――陸上を始めたきっかけを教えてください。
小学校4年生のときに、ウサイン・ボルト選手が走っている姿をテレビで観て「この人のような選手になりたい」と思ったのが、競技を始めたきっかけです。小学生ながらめちゃくちゃ心に響いたんです。元々走るのが好きで、サッカーや野球とかいろいろなスポーツはやっていたんですけど、陸上競技を選んだのはそのときですね。
――そこから十種競技をやるに至った経緯は?
中学3年生のときに、四種競技(110mH、走高跳、砲丸投、400m)があることを知ったんです。僕はスポーツ全般が好きなんですが、走るだけじゃなくいろいろやってみたかった。四種競技なら、四種目できる。実際にやってみて面白かったんですよ。それで高校は八種競技(前述の四種目に100m、走幅跳、やり投、1500mが加わる)になって、種目が増えて嬉しいという感じでしたね。
――一つの種目を極めるよりも、多種目をやる方が性に合っているんですね。
それは陸上競技に限らずで、新しいことが好きなんですよ。例えばレストランでも、繰り返し行くところがない。「ここおいしかった」というところはあるんですけど、それでも次は違う店に行きたくなるんです。リピートしないで、とにかく新しいことに興味がわくんです。四種目から八種目に増えたときも、八種目から十種目に増えたときも喜びがあったので、それは私生活にも出ていると思います。
――どういうところに競技の楽しさと難しさを感じますか?
楽しいと感じるのは、他の選手とのコミュニケーションですね。世界の舞台でも他の選手たちと「頑張れ」と励まし合いながら、競技ができる。勝負なんですけど、選手みんなで団結力がある。他の種目と唯一違う、十種競技ならではだと思います。逆に難しさは、コンディションの維持や、十種目あるのでそれぞれの記録の部分ですね。例えば今回の試合では投擲種目を強化したいからそれを重点的に練習すると、他の種目がダメになる。その塩梅がけっこう大変です。
もし先生がいなければ、口だけの人間で終わっていた
――競技人生の転機となった出来事は何かありますか?
中学生のころですね。ボルト選手を観たときから、「オリンピック」という夢はあったんですけど、中学生になってからは陸上よりも遊びの方に意識が行ってしまい・・・、行動が伴っていなかった。そんな自分に対して、中学1~2年の担任だった春名良彦先生が、対立しながらもずっと真摯に寄り添ってくださったんです。春名先生のおかげで変われて、中学3年生から本格的に四種競技を始めたという経緯があります。もし春名先生がいなければ、僕は口だけの人間で終わっていたかもしれません。
――まさに恩師ですね。
僕は「先生」という存在が小学生のころから苦手だったんです(苦笑)。何かあると、いつも僕のせいにされるみたいなことがあって。まぁ、僕も悪いことをしていたのがダメだったんですけど・・・。でも春名先生だけは僕が何をしても寄り添ってくれた。「お前はオリンピックに行ける人間だから、ちゃんとした道に進め」と。最初は反抗ばかりしていたんですけど、いつしか僕も心を打たれて。中学3年からは陸上に打ち込むことを約束しました。それまでの2年間、本当に言われ続けたので、僕も「この人の言うことはちゃんと聞こう」と信頼感が生まれたんです。
――そこから陸上に打ち込むことになったのですね。ではこの種目で「世界を目指せるんじゃないか」と思った試合はありますか?
僕は「けっこうイケるんじゃないか」と思い過ぎるタイプなんですよ(笑)。それこそ高校に進んで、八種競技をやったことないのに、インターハイで優勝できると思っていましたし、高1の最初の目標に「高校記録更新」と書きました。中学のときに全国大会や近畿大会にも出たことないのに。でも実際に高校記録を更新できました。ポジティブなんです。「ポジティブ過ぎてうざい」ってたまに言われます(笑)。
競技人生を脅かすケガ、それでも立ち直れたのは・・・
――落ち込むことはあるんですか?
一応ありますよ、人間なので(笑)。今季で言うと4月末の、パリ2024オリンピックに出場するためのポイントを取れる試合で、棒高跳で落ちたときは堪えましたね。でも切り替えないといけないし、終わったことは仕方がない。次に向けて、どう立て直していくかを考えましたけど、やっぱり落ち込みはします。
――それでもすぐに切り替えていけるものなんですか?
今回はパリ2024オリンピック出場だけを目指して、昨年から一人でずっとエストニアに行ってトレーニングをしていました。だから、絶望感はありました・・・。ただ、大学3年生のときの2019年に胸椎椎間板ヘルニアのケガをして、「競技ができなくなるかもしれない」と言われたことがあったんです。それに比べれば、オリンピックに出場できなくて悔しいんですけど、競技人生はまだ終わったわけじゃない。次を目指せるので、切り替えることはできましたね。
――その競技人生に関わるケガをしたときは、どのように気持ちを奮い立たせたのでしょうか?
最初に「胸椎椎間板ヘルニア」と言われたときも、実はよく分かっていなくて(笑)。ドクターから、「もう競技どころじゃない。もしかしたら車いす生活になるかもしれない」と言われたんですけど、「治るやろ」と。もちろん落ち込みましたよ。2カ月くらいは左足が痺れていて、怖かった。ただそんな状態でも立ち直れたのは、競泳の池江璃花子選手が白血病と戦っている時期と被っていて。その姿を見たからなんです。「池江選手が頑張っているんだから、僕も頑張らないといけない」と思えたんですよ。
――復帰できたときの気持ちはどうでしたか?
嬉しかったですねー! 復帰できると思ってやり続けていたので、「またここから僕の陸上人生の始まりやな!」という気持ちでした。
末續さんからの金言「『〇』山になるな・・・」
――今夏のWA混成ツアーで8021点をマーク。日本人4人目の大台突破でしたね。
「時間をかけ過ぎたな」という気持ちでした。故障もしていたりして、8000点は取れると言われていた中でなかなか取れなかった。やっと取れてホッとはしましたが、世界の選手に比べると8000点なんて正直たいしたことない記録です。ここからが世界と勝負していくための記録という感じですね。
――世界の選手と比べて、日本人選手はどうしてもフィジカル的に劣る部分があると思います。それをどのように補っていけばいいのでしょうか?
もうバカになるしかない(笑)。十種競技はホンマにぶっ飛んでいる選手が多いんです。そうじゃないとあのレベルまで行けない。僕は今、エストニアで練習することもあるんですが、それこそメニューがきつくて、コーチの指導もすごいんです。その練習をすることで限界を超えて、バカになり切れる。
エストニアではエルキ・ヌールさんという、十種競技のオリンピック金メダリスト(シドニー2000オリンピック)のコーチを受けています。もう引退されていて54歳なんですけど、語りかけるときの目が、僕なんかが計り知れないような壁を乗り越えてきた人の目なんですよ! 表現するのが難しいですけど、普通の人と明らかに違う。ここまでにならないと十種競技で頂点に立てないんだと感じました。
――バカになるとか、ぶっ飛ぶというのは具体的にどういうイメージなんですか?
分かりづらいですよね(笑)。僕は末續慎吾選手(北京2008オリンピックの4×100mリレー銀メダリスト)と仲良くしているんですけど、末續さんに「お前は『〇(まる)』山になり過ぎてる。『□(しかく)』山になれ。そうやって尖れ」と言われて・・・。
――さすがです(笑)。
その表現が面白くて、確かになって(笑)。それがバカになるというか、ぶっ飛ぶことなんだと。「お前の昔はどうやった? 昔はぶっ飛んだことをしていたり、いろいろしてたやろ。子供のころのような感情が大事なんや」と言われて・・・。でもみんな成長するにつれて、様々な方に教えていただいたり、感謝の感情も生まれてきて丸くなっていくんですよ。ただ、末續さんからは「丸くなんかなるな。『□』山になるくらい尖れ!」と言われて、ハッとしましたね。もう一回、末續さんに聞きにいかな。
――すごく分かりやすいです。でも『△』山じゃないんですね(笑)。
確かに(笑)。その方が尖ってますね。それも含めて末續さんに聞いてきます!
十種競技選手としての在り方
――昨年はブダペスト2023世界陸上に初出場し、自己ベストを更新しました。ご自身にとってはどのような経験になりましたか?
「ここぞ僕が競技をやりたかった場所」だというのは感じました。こういう舞台をもう一度経験したいと思ってパリ2024オリンピックを目指していたんですけど、叶わなかった。世界との差も痛感しました。でも原点に戻ったというか、この競技が大好きな僕の心が蘇った大会でしたね。テレビやネットでしか見られないような選手たちがずらっといて、そうした選手たちとコミュニケーションを取ったり、応援もしてくれた。僕は出場選手の中で一番下のレベルの選手なのに、そんな僕にも世界のトップの選手たちが声をかけてくださるんですよ。感動しましたし、これが真の十種競技選手の人間力なのかと。ライバルということを意識せず、褒めることができる。十種競技選手としての在り方を感じたので、レベル差があっても「真摯に向き合える心を持った選手になりたい」と、僕自身も思いました。
――世界陸上が東京で開催される意義はどんなところだと感じていますか?
ブダペストの会場の雰囲気はすごかった。僕はまだ国立競技場の地を踏んだことがなくて、上からしか見たことがないんです。あそこに立ったときのスタジアムはどんな感じなんやろ。国立競技場が満員になるかもしれないと思うとワクワクしますし、その舞台で結果を残すために頑張ろうと思います。
――東京2025世界陸上の目標を教えてください。
来年は日本記録を更新しなければいけないと思っています。その舞台で記録を出せる力をしっかりつけたいですね。日本人でまだ成し得ていない入賞は、ファンのみなさんの応援を借りて、それを力にしながら達成できれば最高に嬉しいです!
とにかく新しいことが好き!
――ここからは丸山さんのプライベートな部分をお聞かせください。休日はどのように過ごされていることが多いですか?
基本、朝はモーニングを食べに行くんですよ。昼まで寝てることは全くなくて、たとえ遅い時間に寝たとしても、朝6時には起きます。とにかく新しいことをするのが好きなので、モーニングも行ったことのない場所にトライすることが多くて、電車に乗って行ったりもしますね。僕はスケジュールを立てるのが苦手で。モーニングでゆっくりしているときに、このあとどこに行くか考える。ただ時間もまだ8時とかで、どこに行くにも店が開いてない。時間のミスはたまにありますね(笑)。
――ご自宅にいるときはどうされているんですか?
家にいる時間はほぼないですね。いてもテレビもあまりつけないですし、音楽を流していたり、携帯をいじるくらいです。ほぼ外にいるので、シャワーを浴びて寝るという感じです。練習場所に(110mハードルの)泉谷駿介選手がいるので、終わったら一緒にご飯食べたり、喋っていたりします。それから家に帰って、夜の9時くらいに寝るスケジュールです。
――スポーツ全般が好きとのことですが、陸上以外だとよく観るスポーツは何ですか?
僕は観るより、やるのが好きなんですよね。サッカーが一番好きです。観るとしたら大谷翔平選手のホームランくらいかな。昔はサッカーを観に行ったりはしたんですけど、最近はそれもできていない。エストニアのコーチからもらうメニューにサッカーが入っているんですけど、どこでやればいいのか・・・。一緒にやる人もいないし、リフティングとシュートくらいしかできない(笑)。一緒にやってくれる選手を募集中です!
――プロフィールの趣味の欄に天体観測と書かれていたのですが、今も好きなんですか?
いや、「好きだった」ですね。地元が大阪の貝塚市で、善兵衛ランドという天文台の施設があるんです。家から近くて昔はよく行っていたんですよね。ただ関東に来てしまったので全然行けてない。だから最近「趣味は?」と聞かれたら「旅行」と答えています。
バリ島で遭遇したまさかの出来事
――ではその旅行について、今まで行ったところで一番印象に残っている場所はどこですか?
去年はハワイ、今年はバリ島に行きました。どちらも良かったですね。ハワイはバカンスです。バリは街並みがめちゃくちゃきれいというわけではなかったんですけど、何か親近感が湧きました。現地の人もすごく優しかった。人の温かさを感じたし、ご飯もおいしかったですね。ビンタンビールがおいしくて毎日飲んでいました。
――Instagramに、猿にスマホを取られた話を載せていましたね(笑)。
そうなんですよ。ウルワツ寺院にケチャダンスというものを観に行ったんですけど、初めに「帽子やサングラスは取られるから」と言われて、置いていったんですね。スマホは持って行って、ちょうど休んでいるときにスマホを置いていたら、猿が後ろから近づいてきていて取られてしまい・・・。気づいたら猿が崖っぷちにいた。猿が崖を下りていって「終わった・・・」と。けど、そこにいた猿使いが取り返してくれたんですよ! あれはすごかったですね。まさか返ってくるとは思わず諦めていたんですが、猿使い・・・とんでもないです(笑)。
――練習にも行ったエストニアはどういう国なんですか?
寒い地域なので、僕が行ったときは外気温がマイナス20℃とかでした。首都のタリンは世界遺産にもなっているようなヨーロッパの旧市街というイメージで、すごくきれいでした。去年も年越しはエストニアで過ごして、友達の家に集まってパーティーをしていました。
泉谷は「競技に関しては飛び抜けている」
――自分以外で、おすすめの選手を紹介するならどなたですか?
仲が良い泉谷をおすすめします。性格的には少し抜けている感じはあるんですけど、陸上に対してはストイックで、しっかり考える力もある。競技に関しては飛び抜けていますね。高校生のとき八種競技で試合をして、大学生から関わりが強くなって、社会人では一緒のチームです。今住んでいる地域にも同じタイミングで引っ越してきて、本当に仲が良いです。
――他にも仲の良い選手はいらっしゃいますか?
同じ十種競技の奥田啓祐選手とはずっと遊んでいますね。あの人はお喋り好きで、一緒にいるときはいつも聞く側です。話したがりで、聞いてないことまで話す。「もう知らん。勝手にやってくれ」って感じで(笑)。
あと女子選手で言うと、日本大学の後輩だった髙橋渚選手(走高跳)ですね。渚には実は近寄りづらい雰囲気を感じていたんですけど、先輩感を醸し出しながら「調子どう~?」って声をかけてみたんです(笑)。
話してみるとたくさんしゃべる子で、それからはグラウンドでよく話すようになりました。彼女は生粋の負けず嫌い人間なので、マリオカートみたいなゲームで負けたときには、「あれ、試合ちゃうよな?これゲームよな?」って思ってしまうくらい悔しがります(笑)。でも、それが実際のところ彼女のアスリートとしての強さの秘訣でもあると思っています!
「この人すごいな」と思うのは福部真子選手です。あの人も面白いですよー。初対面の人への対応とかすごいなって。めちゃくちゃフレンドリーなんですよね。僕もフレンドリーとは言われますけど、あの人はある意味ぶっ飛んでます。初対面の人でもガッといける(笑)。
――注目している若手選手はいますか?
注目しているのはチームメイトの福田翔大選手(ハンマー投)ですね。同じ日本大学出身で、性格の良さも知っています。彼が室伏広治さんの記録を抜いてほしいという希望はあります。
――最後に東京2025世界陸上を楽しみにしている読者の皆さんへメッセージをお願いします!
出場した際には、めちゃくちゃ楽しんで試合をしている姿を見せて、皆さんを巻き込んで盛り上げていきたいと思っています。ぜひ国立競技場を満員にして、応援していただけたら嬉しいです。皆さんの応援、待ってまーす!!
Instagram:603yuma
text by Moritaka Ohashi
photographs by 椋尾 詩
- Q1.生年月日
- 1998年6月3日
- Q2.趣味
- 旅行
- Q3.特技
- 運動神経
- Q4.ニックネーム
- マル
- Q5.好きなアーティストや著名人
- ウサイン・ボルト
- Q6.好きな食べ物・嫌いな食べ物
- 好き→シュークリーム 嫌い→ありません
- Q7.仲良し・好きな選手
- 泉谷駿介選手(陸上競技 110mハードル)
- Q8.好きな言葉
- 半ばは自己の幸せを 半ばは他人の幸せを
- Q9.ズバリ東京2025での目標は!
- 日本人初の入賞
- Q10.最後に一言
- よっしゃー!!
インスタグラムにて質問回答ムービー公開中!
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