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2025をつくる人たち

五十嵐いがらし だいさん

作家

五十嵐大|コーダを「知る」 その先に

2024.09.18

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9月20日公開の映画『ぼくが生きてる、ふたつの世界』。
その原作となったのが、五十嵐が自身の半生を綴ったエッセイだ。
きこえない親を持つコーダの青年は、
何に苦しみ、何を抱え、何を見出していたのか。
そして今、ふたつの世界を行き来して五十嵐が思うこととは―。

想像では届かない感情
共感に至れたからこその映画化

―最初に映画化の話を聞いたときはどのように思いましたか?

五十嵐 原作の『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと』は2021年2月に出版し、その半年後くらいに映画化の話をいただいたんです。とても驚きましたし、もちろん嬉しかったです。
その反面、障害者が「感動するための材料」として消費されるんじゃないかという懸念がありました。僕はそんなつもりで書いてはいないですけれど、コーダ(※)やろう者を知らない人がこの本を読んだときに、単純に感動してしまう部分もあると思うんです。いろいろな苦労を乗り越えていく“美談”として映像化され、そこだけがクローズアップされてしまうと、僕が本当に伝えたいことが伝わらないなと・・・。今までにいくつもあった、“障害者は苦労してかわいそうだけど、頑張ってハードルを越える姿は美しくて感動する”というものの一つになったら嫌だという思いが正直ありました。

※コーダ:「Children of Deaf Adults」=きこえない・きこえにくい親(両親ともに、もしくはどちらか一方)をもつ、きこえる子供のこと。頭文字をとって「CODA(コーダ)」。

きこえない両親との実録ノンフィクション。
苦労や感動だけでは語られないリアルが綴られている
※ご本人提供

―その不安から、どのように実現に至ったのでしょうか?

五十嵐 映画のプロデューサーや監督、脚本家の方がお会いしたいと言ってくださって。それで、実際に会ってお話をさせていただきました。本のことだけでなく僕自身が何を考えているか、コーダのこと、ろうの親を持ってどういう気持ちだったのかなど、3時間くらい熱心に話を聞いてくださって。その姿勢がすごく真摯に感じられました。
それに監督の呉美保(お・みぽ)さんや脚本の港岳彦(みなと・たけひこ)さんにもマイノリティ性があることが分かりました。だから分かり合えるという安易な話ではないですが、それぞれにマイノリティ性を持っていて、なんとなく共感する部分があったんです。作品を主導するお二人が、そういったある種の痛みを感じるような経験をされているのであれば心配いらないな・・・と思い、「お願いします」と言いました。

―不安を払拭したのは「マイノリティ性を持っている」点が大きかったのでしょうか?

五十嵐 別にマジョリティの人だからダメという話ではないんです。そもそも人はマジョリティ性もマイノリティ性も併せ持っていて一概には言えないと思っているので。ただ、例えば日本に生まれて東京都出身で家族に障害者もいなくて、男性で日本語が使えてお金に困っていないみたいな、あらゆるマジョリティのカードを持つような人が監督だったら、何らかの迷いが生じてしまったかもしれません。それでもマイノリティの気持ちを想像はできると思いますし、実際にマジョリティ性が強いけれども素晴らしい作品をたくさん生み出している方もいます。だけど、呉監督や港さんは身をもって、その苦しさとか寂しさを感じていらっしゃる。その上で、「マイノリティだけど普通に幸せな瞬間もあるよね」というのを実体験として分かっているのが安心材料になりました。

―著書の中で「コーダという名前があることを知って安心した」とありましたが、存在に名前が付いて安心するほどの孤独感は想像できませんでした。

五十嵐 自分に「コーダ」と名前が付いたことはまさに安心と結び付いていて、コーダという言葉を知らなかった頃は本当に独りぼっちだと思っていました。自分みたいな境遇の人は世界に一人しかいないのかなって。だから誰にも気持ちを共有できない、言っても分かんないよって諦めていたんです。でも、名前が存在するということは、そこに同じ境遇の「仲間」が存在することを意味します。そして仲間とは体験を共有できるし、前提条件が一緒なので多くを説明しなくても分かり合えるものがある。そこが安心に繋がったんです。
呉監督や港さんが僕と同じような経験をしたかどうかまでは分かりません。それでも、日本の社会の中で少数のグループに属して生きるとはどういうことかを身をもって理解されているので、おそらく僕の想いから外れないだろう・・・と思えたんですね。

 

僕たちはいかに音に頼って生きているか

―そうした経緯を経て作られた映画を観て、どのような感想を持ちましたか?

五十嵐 ナチュラルに、どこかの地方にいる家族の日常を切り取っている感じがして、一観客として素晴らしい映画だな、と感動しました。それに、とても丁寧に作っていただけたんだな、とも感じたんです。
この映画はBGMをつけていないんですよ。きこえない人にはBGMが届かないので、BGMで感情を盛り立ててしまうと、きこえない人ときこえる人とで受け取るメッセージが変わってしまう。だから、その差が生まれないようにBGMを一切つけなかったそうです。そこまで配慮された監督には頭が上がりません。

―日常の生活音が字幕に付いているのを見て、多くの音があることにも気づきました。

五十嵐 字幕は「人が話していることを表記すればいい」と思われがちですけど、そうではないんですよね。日常にあふれている音、例えばヤカンのお湯が沸く音や車が走ってくる音など、生活音を見えるようにしてみると、僕たちはいかに音に頼って生きているかが分かります。聴者は、それを当たり前だと思って生活しています。音からの情報を受け取れない人たちがいること、そしてどれだけ音が生活の助けになっているかに気が付くきっかけに、この映画がなったらいいですね。

―吉沢さんのキャスティングは呉監督のオファーで実現したと聞きました。

五十嵐 一度、撮影現場にお邪魔して、吉沢さんがお芝居をしているところを見学させていただきました。そこで監督がオファーした意味が分かった気がしたし、こんなに素晴らしい役者さんだったんだと改めて思えました。知名度や人気もあって、お芝居がうまくて。吉沢さんだからこそ大勢の方に届けられるものが絶対にあるんですよね。

―五十嵐さんからみて吉沢さんの手話はどうでしたか?

五十嵐 すごくナチュラルで素晴らしいと感じました。試写を観たコーダの仲間も口をそろえて「吉沢さんは手話が上手だし、コーダっぽいね」って言うんです。僕もそれを感じて。コーダの手話とそうではない人の手話とで何が違うのかはうまく説明できないんですけどね。手話だけじゃなくて目線とか仕草とか・・・、こういうコーダいるよねって感じられました。

―表情や仕草などからも、そのときに抱えている葛藤など複雑な心境が伝わってきました。

五十嵐 苦しそうな感じというか、親に当たっても仕方ないって分かっているのに当たってしまう葛藤みたいなものが、繊細に表現されていました。僕は原作を書いているし脚本を読ませてもらっているので内容を分かっているけれど、それでも映像になると全然違っていて。映画を見ながらコーダの吉沢さんを、自然と「頑張れ」って応援していました。

「想像以上に素晴らしい映画」になった
©五十嵐大/幻冬舎 ©2024「ぼくが生きてる、ふたつの世界」製作委員会
配給:ギャガ

 

「親を守りたい」
そのために一人で答えを探す毎日

―映画でも原作でも「コーダに生まれてきた苦しさ」が伝わってきました。今振り返ると、一番何が苦しかったのでしょうか?

五十嵐 周囲から「かわいそうな人たち」と勝手にジャッジされてしまうことです。コーダの日常にも幸せな瞬間はたくさんあるんです。僕にとって親の耳がきこえないのは当たり前のことだから、それが“普通”。でも、世間からは“普通”とされない。例えば外で親と手話で話をしたり、いわゆるデフヴォイスというろう者が出す独特の発声を親がしたりするとジロジロ見られる。障害者じゃない?みたいな周囲の目が苦しかったですね。当時はどこに行っても“かわいそう”とか、“変な人たち”と見られている感じがあって。ここにいてはいけないのかな・・・と思う瞬間がたくさんあったのが本当に苦しかった。僕は一人っ子なので、もし兄弟がいたら苦しさを分け合えたのかもしれないけれど、耳のきこえない親と、耳はきこえるけど理解が及ばない祖父母しかいなかったので誰にも言えず、ひたすら一人で抱えていました。

自分の“普通“と世間の“普通“。
周囲の目に苦しんだあの頃
※ご本人提供

―おじいさまもおばあさまも個性的なキャラクターで、それにも驚きました。

五十嵐 僕の家族は個性が強すぎますね。何かのプロフィールに書いたら、知り合いの作家に「それは設定なのか?」って聞かれたくらい。事実だと答えたら、「言っちゃいけないけど羨ましい」って。「そうか、面白いよな、僕の家族」って今はもう笑って受け止めています。

―子供の頃から「母を守らなくては」という意識が強かったようですね。そう思うきっかけはあったのでしょうか?

五十嵐 全員ではないですが、コーダの大多数に共通する思いとして「親を守りたい」という気持ちがあるそうです。僕はその思いが特に強かった。それは母が大好きだからで、大好きな母が辛い目にあったり、困ったりするのは見たくないんです。それで助けようと一生懸命に通訳をするけど、うまくできないときもあって・・・。子供の頃に母と役所に行ったんです。でも子供だから難しい手続きについてなんか理解できないし、ちゃんと通訳できない。そうなると自分は役に立たないと落ち込んで、それと同時に、「なんで自分はこんな苦しい思いをしなくちゃいけないんだ」って思い始めて。それはお母さんの耳がきこえないからだ、きこえていたらこんな思いをしないのに・・・と当たってしまっていました。親に当たるのを今は全く良しと思っていないですが、あのときは仕方がなかったというか。そうせざるを得なかったし、そうしないと生きていけなかった気がします。

―それくらい追い詰められていたということですよね

五十嵐 あの頃にSNSがあったら違ったかもしれないですね。今は「コーダ」と検索すれば仲間と繋がれて、「自分はこういう生い立ちで、こういうときに苦しいんだけどどうしたらいいですか?」とコーダの先輩に聞けますから。でも、当時はそれがなかったので誰にも相談できなかったんです。
細かい話をすると、例えば入学式に親が来るとなると自分はどうしたらいいのか分からないわけです。母は案内がきこえないから席にちゃんとたどり着けるのか不安なんだけど、僕は入学式に出るので親のアテンドはできない。さまざまな場面において、耳がきこえない親とどうすればいいのかを示してくれるロールモデルがいなかったので、細かいレベルの“どうすればいいの?”がいっぱいあって。でも誰も教えてくれなかったんです。一人で答えを探していかなくてはいけないのが本当にキツかった。まぁ、強いていうなら「じいちゃんとばあちゃんがやってよ」っていう気持ちはありました。もし自分が祖父母の立場だったら、心細い思いをしている孫を放っておかないと思うので。ただ、そうは言っても祖父母もろうの子供の親になるのは初めてで、コーダの祖父母になるのも初めてだから、彼らもまたどうサポートしていけばいいのか分からなかったのかな、とも思うようにもなりました。初めてだから仕方なかったのかなって。

―おじいさまやおばあさまの世代は特に障害を受け入れるのは難しかったのではないでしょうか?

五十嵐 そうだと思います。障害を認めたくなくて、障害を治す・克服するという時代でした。障害とともに生きていくという時代ではなかった。それはもう仕方ないですし、今の価値観をもって祖父母を責めることはできないとも思っています。

「初めてだから仕方なかったのかな」
少しずつそう思えるようになった

 

「知る」の先へ
無自覚の差別の、自覚

―五十嵐さんにとって本を書くことは、ご自身にどのような作用をもたらしているのでしょうか?

五十嵐 本を書くと感情がどんどん整理されていくんです。映画の原作を書いたときには「母のことを大好きなんだな」って改めて感じられましたし、そのあとに母について書いた『聴こえない母に訊きにいく』のときには、大好きというより一人の人間としてとても尊敬しているんだなと感じました。優生保護法(※)という法律があった時代に子供を産んで、嫌なこともたくさんあっただろうに、ちゃんと育て上げた母親ってすごいなと。自分が同じ立場だったらできなかったかもしれない・・・。しかも母は文句も不満も一切言わなかった。それを知ってから、もちろん好きという気持ちは大前提としてありますが、人間として尊敬できる人だなと。自分もそういう人になりたい、と思えたんです。

※優先保護法:1948年に成立し、1996年まで施行された法律で、「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」ことを目的としていた。「優生」とは、優れた子孫の出生を促すとともに、劣った子孫の出生を防止する意味をもち、この法律では、当時の優生学・遺伝学の知識の中で遺伝性とされた精神障害・知的障害・神経疾患・身体障害を有する人を対象に、優生手術(強制不妊手術)や人工妊娠中絶が認められていた。

感情が整理されるにつれ芽生えたのは、
母への尊敬の念
※ご本人提供

―どのようなときに本を書こうと思うのでしょうか?書くことで自分の中に変化はありますか?

五十嵐 僕が本を書くのはわりと「これはどうしてなんだろう」っていう疑問が出発点になることが多いんです。家族の話を書くときも「なんであんなに苦しかったんだろう」「なんであんなに嫌だったんだろう」というのが始まりで、そこが整理されて見えてくるものがありました。特に映画の原作の本は、最後に「母親を守るんじゃない、ともに生きていくんだ」という結論に行き着きましたが、それは最初から用意したものではなく最後に書きながらわかったもの。書くことで自分の中で見えていなかった部分、不確かだったものが明確になってくるんです。

―今後、取り上げたいテーマはありますか?

五十嵐 社会の中で“理不尽な痛み”を押し付けられている人たちのことです。それこそ障害者だったり、難病を抱えていたり、貧困家庭に生まれた人、性的マイノリティなど、今まで社会から見て見ぬふりをされてきた人たちのことを書きたいですね。そして読んだ人がそれぞれ何かを受け取ってくれればいいな、と願っています。僕が書いているものが直接的に社会に大きな作用をもたらすとは全く思ってないけれど、何かのきっかけにはなればさらに嬉しいです。そのきっかけからどんどん繋がっていって、何年後かに社会が少しでもやさしくなってくれたらいいなと。

―きっかけの一つに「知る」ということがあると思いますが、知ることについてどう思いますか?

五十嵐 「知る」というのは大事なことです。ただ、インタビューでも知ってほしい、知ることが大事とはずっと言ってきていますが、ただ知るだけに甘んじてほしくないという気持ちもあります。

―「知る」からその先へ進みましょう、ということですか?

五十嵐 そう、「知る」の先です。朝のネットニュースで障害者についての記事を読んで、はい知ったと終わってしまうのではなく、きちんと理解する・受け止めるまでにならないと意味がない。ろう者にからめて言うと、この社会は音声優位ですよね。先日ラジオに出演したのですが、言ってしまえばラジオはきこえない人たちを置き去りにするメディアです。僕はラジオに出ながら、そんなことを考えていて。その一方で何にも考えることなく、ラジオって楽しい、いいよねと聞く人、出ている人がいます。あなたがそう思っている裏で、享受できない人もいる。それは、社会がアンバランスで、無自覚に踏みにじられている人がいるということです。だから、一人ひとりがちゃんと自覚をしていかないといけない。自覚するのは確かに苦しいんですよ、僕もそうですから。僕も含めてですけど、みんな無自覚に誰かを差別しているんです。だって社会がそういう構造だから。その社会構造は、僕たちみんながつくっているんです。だから、ちょっとずつ変えなければいけない。そのためにも知って、認めて、その先に進みましょうということです。

―そういった少しずつの一歩によって、何年後かにはとても住みやすい社会になっているのかもしれませんね。

五十嵐 実際、今も少しずつ変わってきていますよね。さまざまな場所にスロープが作られたり、音声だけでなくてテキストでも案内したり、その逆もあったり。そうなると、シンプルに便利だと思いませんか? もちろんそこにお金はかかりますし、仕組みを変えるのは大変なことです。でも変わることで助かる人が一人でも増えるなら、やっぱり変えていきたいですよね。

 

ふたつの世界を行き来するから見えるもの

―「知る」きっかけとして、テレビや映画などで取り上げられることで認知されるケースもあります。その一方で、批判的な意見も出てきますが、どのような印象をお持ちでしょうか?

五十嵐 最近で言えば、きこえない人や手話をテーマにしたドラマが大ヒットしました。危うい表現もありましたが、結果的には意義のあるドラマだと思いました。でも、“また同じような泣かせるドラマか”というような批判的な声があったのも知っています。そして、そういった声に対して、「知ってもらうには必要でしょう」という意見もあがった。それは理解できます。ただし、これは聴者側、マジョリティ側が簡単に言ってはいけないとも思うんです。
過去を振り返ると、ろう者が出てくるドラマはたくさん作られてきました。つまり、「知るきっかけ」もたくさんあったわけです。でも、社会におけるろう者の立場はなかなか変わってこなかった。それを踏まえると、ろう者などの当事者からすれば「知るきっかけは何度もあったのに、何も変わらないじゃないか」、「いつまで同じことを繰り返すの?」と感じてしまうのも当然ではないでしょうか。確かにそれはそうですよね。毎回、「こういう人たちもいるんだね」で終わってしまっているのが現状です。
ドラマの放送中は手話が流行って、SNSでも盛んに手話を使った動画をあげている人もいたけれど、今はほとんど見かけない。一過性のブームで終わってしまっているんです。

―批判の奥には“知ってもらう”から進んでいないことへの不満があったのですね。

五十嵐 コーダに関しては、そもそも取り上げられ始めたのが最近です。2021年に公開された映画『Coda コーダ あいのうた』が大ヒットして、2023年には丸山正樹さんのミステリー小説『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』がドラマ化されたり、『しずかちゃんとパパ』というオリジナルドラマが作られたりと、ようやく知られ始めたところ。だから、コーダはまだまだ周知させる段階にあると言えます。一方でろう者については、その存在を知らない人はもうほとんどいないですよね。ろう者の場合は知ってもらうフェーズはとっくに終わっていて、次の段階へと進まなければいけないんだと思います。知った先で社会をどう変えるのか、何が足りていないのかを考えていく必要がある。だけど、なかなかそれが叶わないから、ドラマが放送されるたびに「またか」という批判が起こるのではないでしょうか。

―SNSの話もでましたが、手話歌のようなものをアップして炎上してしまうケースも見られます。

五十嵐 歌いながら手話をつけている手話歌は、要はきこえる人がきこえる人に向けたパフォーマンスで、そこに手話を言語とする当事者がいないんです。聴者のインフルエンサーが投稿したパフォーマンスを見てファンが感動しましたと言っているけれど、誰のために、誰に向けてやっているんだろう?って思ってしまいます。それに、そこで表現されている手話は間違っていることも少なくない。
そもそも日本手話と日本語は文法が違います。手話というものは手の動きだけではなく、眉の上げ下げや目の細め方、頬の膨らませ方、首や肩などの動きも組み合わせることで表現される言語です。だから、多くの手話歌のように、日本語の文法に沿って手だけを動かしても当事者には意味が通じない。
だけど、手話を知らない聴者は、流行っている手話歌を見て、「これが手話なんだ」と誤った認識をしてしまう。そうすると、手話が誤解されたままどんどん広まっていくリスクがありますよね。それはコーダの僕にとっても避けたいことです。手話を使って生きる両親が、さらに生きづらい状況に追い込まれてしまうかもしれませんから。
手話歌に対する批判というのは、「間違った手話を広めないでほしい。正しく理解してほしい」という当事者の切実な叫びのように僕には感じられます。

―ろうの人たちの「正しい手話を知ってもらいたい」という背景には、どのような思いがあるのでしょうか?

五十嵐 手話は消滅するかもしれなかった言語で、昔は「手真似」などと蔑まれていました。それでも当事者は大事に守ってきたんです。そうしてやっと今、手話言語法(※)が成立して手話が認められるようになってきた。それなのに、間違ったものが広まってしまったら、手話を守ってきた当事者たちの努力が無駄になってしまう。もちろんすべての手話歌が悪いわけでは決してなくて、中にはろう者がやっているものもあります。その場合は日本語の歌詞をそのまま手話単語に置き換えているのではなく、手話の文法に則って翻訳をしていて、歌う人と手話をする人とが一緒に表現したりしています。きこえる人ときこえない人が協働して、それぞれの思いがしっかり伝わる表現が広がっていけば、それはとても素敵なことですよね。

※手話言語法:手話言語の普及や手話話者の権利向上を目的とした法律。2012年に全日本ろうあ連盟(手話言語法制定推進運動本部)が「日本手話言語法案」を公表し、2013年度より全国の地方議会から「手話言語法制定を求める意見書」を国に提出する取り組みを始める。2016年3月3日に全都道府県・市町村の1,741議会で意見書が採択。ひとつの案件で地方議会の採択率が100%となったのは憲政史上初めての快挙だった。2024年7月22日現在では38都道府県/21区/359市/115町/7村 計540自治体で条例が成立している。

―著書の中で「ともに生きていく」という表現もありましたが、ご両親との将来に向けて動かれていることはあるのでしょうか?

五十嵐 僕は両親がいつ上京してきてもいいと思っていて、来るなら準備をするよという話はしています。ただ、父は今70歳くらいで退職してもいい年齢なのですが、まだ働いているんですね。父は働くことが好きで、ろう学校を卒業してからずっと同じ会社に勤めています。その仕事を辞めさせることは生きる意味を奪うことになりかねないので、元気なうちは父の気持ちを尊重しつつ、僕がちょくちょく実家に帰ればいいかなって。
きこえない親の老後はコーダの間でも問題にもなっていて、老人ホームに入っても手話ができる人がいなくて孤立したり、介護士さんとコミュニケーションが取れなかったりするそうです。コーダの先輩の中には、東京に住んでいたものの親の介護のために地元に帰ったという人もいます。この問題についてはまだ答えを出せていないのが本音です。

―ろう者、聴者を問わず、親の老後については問題になっています。でも、いざ自分がその立場になると、ついそこから目を反らしてしまいがちですよね。

五十嵐 ただ、なるようになる。追い込まれたら自分で絶対にどうにかするから、そのときはそのときだ、という気持ちもあります。子供の頃は誰にも相談できなかったけれど、幸いなことに今はコーダの仲間がいっぱいいるので、もし困ったら彼らに“手話でコミュニケーションをとれる老人ホームってどうやって探せばいいの?” “こういうときはどうしたらいい?”って聞けるんです。頼れる人がいるという安心感は本当に大きい。
たまにコーダの人たちと集まるんですが、そこでも「何かあったらいつでも言って。私は通訳しかできないけど、五十嵐君のご両親に何かあったら私が助けるから」なんて言ってくれる人がいます。そういう言葉をくれる人がいるのは心強くて、大丈夫だ、味方がいるという、強くてあったかい気持ちになります。

 

自国開催で高まる関心を
優しい社会を築く原動力に

―2025年にはデフリンピックが開催されますが、応援している選手や注目している競技はありますか?

五十嵐 先日イベントでご一緒した、デフバレーボールの中田美緒選手ですね。実際にお話しして大会への熱い想いを感じられたこともあり、とても応援しています。競技のなかでは、特にグループで戦う団体競技は、試合中のコミュニケーションをどうするのかが気になります。スピード感のある試合展開の中で、聴者なら掛け声でできる部分をろう者だとどうするのか。片手手話でやりとりするのか、独自のサインを決めているのかなど、興味深い点がたくさんありますね。

―デフリンピックが東京で開催されることで期待することはありますか?

五十嵐 普段スポーツにはあまり関心がないんですけど、東京2020オリンピックはちょくちょくテレビで観ていました。やはり自国で開催されるとなると興味が湧くものですよね。きっとそういう人は少なくないと思います。だから、これまで海外で開催されてきたデフリンピックに関心が持てなかった人も、それが東京で開催されるとなったら注目するのではないでしょうか。デフリンピックを通して、手話やろう者にも目を向けてくれたら嬉しいです。
それに、「きこえなくてもできる」ことをアスリートが証明してくれるのがデフリンピックですよね。だから、ろう者への偏見が無くなることも願っています。また、自分が思っている以上にろう者が多くいることが可視化されると思うので、その気づきや周囲への関心が高まることによって、社会が少しずつ優しくなるかもしれません。デフリンピックがそのきっかけになることを、ひとりのコーダとして期待しています。

※ご本人提供

五十嵐 大(いがらし だい)/宮城生まれ
作家

1983年生まれ。耳のきこえない両親を持つ、コーダとして生まれ育つ。
2020年『しくじり家族』でエッセイストとして、2022年『エフィラは泳ぎ出せない』で小説家としてデビュー。『聴こえない母に訊きにいく』が第1回生きる本大賞にノミネートされる。『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと』(その後、『ぼくが生きてる、ふたつの世界』と改題し文庫化)を原作とした実写映画「ぼくが生きてる、ふたつの世界」が2024年9月20日公開。最新刊は『「コーダ」のぼくが見る世界』。

X:@daigarashi
Instagram:daigarashi

<映画「ぼくが生きてる、ふたつの世界」>
Web:https://gaga.ne.jp/FutatsunoSekai/
X:@FutatsunoSekai_

text by 木村 理恵子
photographs by 椋尾 詩

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