中川 亮(デザイナー)|「SUGOI」が世界の共通語になる大会に
2024.11.20
デフサッカー指導者
2024.07.24
2023年秋に行われたデフサッカーワールドカップ(W杯)。
日本代表は史上初となる準優勝という成績を収めた。
東京2025デフリンピックでの活躍も期待されたが、
指揮官の植松隼人は監督を辞した。
卓越した手腕で日本を世界のトップレベルに導いた男は、
今後デフスポーツにどのように関わっていくのか。
―2024年3月31日をもって、代表監督を退任しました。改めて経緯を教えてください。
植松 昨年10月7日にW杯が終わり、その後、日本ろう者サッカー協会と面談をしたんです。僕から「面談した方がいいですよね」と声をかけて、選手環境を改善する意見書もこのタイミングで提出した方がいいなと思ったんです。W杯前から改善しないといけないところがたくさんありました。その意見書を提出して、「回答書をお待ちしています」という形でいったん面談は終わりました。それから全く連絡がない状態で、1月末に協会から退任を通知するメールが突然届いたんです。
―えっ、メールで退任を通知されたんですか?
植松 そうですね。これだと協会と歩み寄るのも難しいですし、コミュニケーションができないのであれば、選手環境を守れる自信が僕にはなかった。その後、会長とも話す機会がありましたが、判断は変わらずでしたね。
―意見書ではどのようなことを提案したのでしょうか?
植松 選手環境を変えるために、組織として人を変えた方がいいというのが一つです。特定の人を責めているわけではなく、仕事として「そこを変えていかないと」という意図なんですね。意見書は11個の項目があって、その中の一つとして出したんです。
あとは小さいことの積み重ねです。備品がないとか、合宿ではこういうものがあった方がいいとか、海外遠征の重要性とか。改善されている部分もあれば、そうじゃない部分もあった。円滑なやり取りができなかったというのが、現場では一番の課題として挙がっていたんです。
―最終的にいろいろな部分が改善されていくといいですね。
植松 そうですね。監督も新しく代わって、良い方向に向かっていくといいなと思います。僕としてはやはり選手たちが一番やりやすい環境にしていきたいという気持ちが強かったので、そこは変わっていってほしいですね。
―退任することを選手たちに伝えたときの反応はどのようなものでしたか?
植松 退任の発表がある前に、僕からこれまでの経緯や今の気持ち、みんなへの感謝を文面化してキャプテンを通じて選手たちのLINEに流しました。「俺も辞めようかな」という選手もいたんですが、「それは違う」と止めました。やはりデフリンピックのために頑張ってほしい。先日、代表チームが宮城県で合宿をしていて、SNSにアップされた写真を見る限り、誰一人辞めることなく参加していたので安心しました。
―監督を務めた約6年間、一番印象に残っている出来事は何でしょうか?
植松 W杯での準優勝ですね。監督をやっていれば良いことも、悪いこともあります。2018年5月にはアジア大会(アジア太平洋ろう者サッカー選手権)が韓国で行われて、そこでは2位でした。それから2023年10月のW杯までいろいろなことがあったんです。6年間で国際大会には2回しか出場できていない。これは本来だったら少ないんですよ。香港デモがあり、コロナもあった。これで4年の間にあった大会がすべて中止になってしまいました。本当だったら5回くらいあったはずなのに、2回しか出場できなかった。それもあってW杯は最高の選手たちと戦えてよかったですし、特に印象に残っています。
―W杯で準優勝できた要因はどのようなところにあったと考えますか?
植松 ベスト4を目指すと選手には説明していました。国際大会に出られていなかったし、根拠はなかったんです。でもベスト4に入れないようだったら、デフリンピックでメダルを獲得するのも難しい。デフリンピックまでの準備期間を考えたときに、国内合宿しかできないこともあり、W杯である程度の結果を残す必要があった。これまで積み上げた自分たちの戦い方があったので、それを事前合宿でチームに落とし込めたことがすごく良かったと思います。本当に選手たちの力だと思っていますし、僕も選手たちを信じることができた。この23人の仲間と一緒に行けたのがよかったです。
―どのような方針でチームを強化していったのでしょうか?
植松 あまりこれと言ったものがないんですよね(笑)。ベスト4という目標やチームとしての戦い方は決まっていたんですが、デフサッカーは一般のサッカーとは別物です。参考にするのはJリーグでも森保ジャパンでもない。今までやってきた試合映像がヒントになっていて、本当にこれが正しいかは確信がなかったんですが、まずはやってみようと。トライ&エラーを繰り返し、その戦い方を信じる。あとは自分の言葉で選手たちのモチベーションを高めていくということをやっていました。
―選手たちにはどういう言葉で伝えていたんですか?
植松 (スマホを見て)「海外はうまい選手ではなく、戦える選手を選ぶ」。あとW杯はマレーシアで行われたので、「クアラルンプールの奇跡ではなく、絆だ」とも言っていますね。「メンバー23人に加えてトレーナー、コーチ、監督みんなの絆でここまできた」と。なんかくさいこと言っていますね(笑)。「家族、仲間、恋人、同僚、育ててくれた指導者がいるからここまで来られた。みんなにとって一番絆が強い人は誰か。それを思い出してほしい。絆の強い人が僕たちの背中を押してくれる。同じ時間と同じ思い。友情と信頼を大きくして、絆ができる。日本代表の選手として、本当の絆になった景色をみんなで一緒に見よう」。こうしたことを伝えて決勝まで行くことができたんです。
―デフリンピックで優勝するために、チームにはどのようなことが必要だと考えていますか?
植松 僕が大事にしてほしいのは信頼関係ですね。仲間を信じてほしい。僕にとって戦術は、そこまで優先順位が高くないんです。チームワークを高めるために、コミュニケーションの軸を何に置くかというところを大事にしていました。デフサッカーの選手たちは難聴の選手が多くて、手話を後で覚える人もけっこういる。ろう学校を卒業した人はメンバー23人の中で7、8人しかいない。ほとんどの選手は聴者の学校に行っていたので、コミュニケーションの方法がみんなバラバラです。だから何に軸を置くかは監督がちゃんと示さないといけない。僕は手話を軸にしました。手話ができない人にもみんなでしっかり教えていけばいい。それもコミュニケーションです。プレーするのは選手で、ピッチでは自分で判断して、決断をしないといけない。そういうところは自分たちでもしっかりやってほしいと思います。
―ご自身では今後デフサッカー、デフスポーツとどのように関わっていきたいと考えていますか?
植松 僕自身はこれからデフリンピック全体をサポートしていければと思っています。僕の地元は品川区なんですが、「品川区のデフリンピック認知度を100%にする」と言い続けています。品川区長や区議会にも言いました。じゃあ、どうやったら認知度を100%にできるか。まずは品川区の全小学校、全中学校で講演をやろうと思っています。あとはデフサッカーの体験会をやる。目的としては、デフリンピックを通じて共生社会を実現させたいんです。そのために、デフサッカーを通してコミュニケーションを学ぶ。いろいろな人がいていい。コミュニケーションの方法もみんな違っていい。それはLGBTQも、障害がある人も同じです。体験会に参加した子供たちに、僕は「何を加えたら楽しいと思うか」と聞きます。そういう発想は大人よりも子供の方がある。「このルールを入れたらみんなをもっと巻き込めるね。インクルーシブになるね」と。こうしたことを品川区でやっていきたいですね。
―全日本ろうあ連盟で始める手話言語解説者などの養成事業についても、植松さんはSNSで広めていますね。
植松 そうなんです。全日本ろうあ連盟が手話言語解説者、手話言語アナウンサー、手話言語通訳者など中継サポートとして入る人を募集して、研修を始めたんです。僕はデフサッカーの専門知識を持った解説者として、その研修に申し込みました。それで全日本ろうあ連盟からもっと解説者を呼んでくれと頼まれた。それでSNSで広く声をかけたような感じです。スポーツとデフの人材をつなぐ架け橋になれるような働きを、今後も積極的にしていきたいですね。
―植松さんから見て、デフリンピックの浸透度はどう感じますか?
植松 東京都の自治体の中で、デフリンピックの啓蒙を頑張っている印象があるのは、品川区、渋谷区、足立区、杉並区ですね。私が知らないところでもっと活動しているところがあったらごめんなさい。区民の税金をスポーツに充てるのはなかなか難しいんだと思います。ただ、デフリンピック啓蒙のためにもう少し予算を取って、スポーツやデフリンピックに関心を持ってもらえるようにできればいいと思いますし、自治体が考えていることをお手伝いできたらいいなと思います。東京都さん、仕事くれないんですよね(笑)。ここは記事に入れておいてください。「僕を利用しないと損するよ!」と。
―分かりました(笑)。植松さんのお話を聞いていると教育者の一面も感じます。ご自身も4人のお子さんがいらっしゃいますが、どう育ってほしいと考えていますか?
植松 やりたいようにやればいいという感じですね。僕の両親もそういう方針でした。4人目は昨年生まれたばかりですが、長男と次男が双子で、長男はサッカーと走り方教室に通っていて、次男はサッカーと体幹教室に通っています。あとはスケボーもやっている。三男はサッカースクールに通い始めて、英語やスイミング、体操もやっています。やりたくてやっているようですし、今は限定させないでいいかと思っています。サッカーで言うと、幼稚園児から小学校2年生まではプレゴールデンエイジなんですね。神経経路を作り上げていく準備期間なので、その間にいろいろやらせたいと思います。
―東京2025デフリンピックで期待していることがあったら教えてください。
植松 デフリンピックが終わったあとに、どういう世の中にしていきたいかを感じ取りながら、大会を観てほしいと思います。きこえない選手たちがプレーしている中で、きこえるスタッフと関係者がサポートし、どう両者が掛け合って、情報を取り合うか。各競技によって、視覚情報の工夫がある。これはスポーツの現場だけじゃない。家やコンビニ、スーパーなど普段の生活で、本当にこういう施設でいいのか。きこえる人だけで話し合ってつくってはいけないと思うんです。デフリンピックはきこえない人のための大会ではありますが、きこえない人だけで判断することもないし、もちろん偏らないようにするでしょう。きこえる人とともにつくり上げる大会、そこで何が生まれるのか・・・。それが大会を観る楽しみでもあると思います。そういうことを感じてほしいですね。
―最後に東京2025デフリンピックを楽しみにしている読者の皆さんにメッセージをお願いします。
植松 まずは自分の興味あるスポーツから入ってほしい。そこから推しの選手を見つけてほしいですね。応援の仕方は手話もあるけど、きこえない人ときこえる人が一緒に応援する形をその場所でつくってもいいと思います。オリンピックやパラリンピックよりも、デフリンピックは選手との距離感が近い。コンビニなんかで出会う機会も多いと思います。そういうチャンスを選手も含めてみんなに感じ取ってもらいたい。僕もデフリンピックを応援していきたいと思います!
植松 隼人(うえまつ はやと)/東京生まれ
デフサッカー指導者
1982年品川区生まれ。サインフットボールしながわ代表兼コーチ。日進工具株式会社所属。
生まれつき聴覚障がいを持ち、2010年にはデフフットサル日本代表に選ばれ国際大会等で活躍。その後、日本代表コーチと監督を経て、2023年デフサッカーW杯で準優勝という過去最高成績を残した。
現在は少年サッカーのコーチとしてサインフットボールしながわスクールの指導および運営を行うとともに、デフリンピックの啓蒙や共生社会の実現に向けて講演会を行うなど日々精力的に活動している。
X:@uema_deaf
Instagram:h.uema
text by Moritaka Ohashi
photographs by 椋尾 詩
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