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陸上競技・山縣亮太 | “日本最速”の男は「辛抱の時間」を経て、再び強くなる

2024.04.24

ここ数年、日本の男子100mは9秒台の自己ベストを持つ4選手を筆頭に、群雄割拠の様相を呈しています。その中で9秒95の日本記録を保持しているのが山縣亮太選手です。過去3回のオリンピックに出場し、リオ2016大会では4×100mリレーの一員として、銀メダル獲得に大きく貢献しました。東京2020オリンピック以降はケガもあり、「辛抱の時間」を過ごしていましたが、今年32歳になる“日本最速の男”は、今も確かな成長を実感しています。

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山縣 亮太(やまがた・りょうた)
1992年広島県生まれ。男子100m日本記録保持者(9秒95)

修道高校、慶応義塾大学を経て、2015年セイコーグループ株式会社入社。
リオデジャネイロ2016オリンピック男子4×100mリレーの第一走者として、銀メダル獲得に貢献。個人では、オリンピックにおける日本選手史上最速を記録したトップスプリンター。東京2020オリンピックでは日本選手団主将を務める。
2021年6月にたたき出した自己ベスト9秒95は、群雄割拠の日本男子100m界においても未だに破られぬ最速記録。右膝の怪我からの復帰を果たし、パリ2024オリンピック、そして東京2025世界陸上へ再び走り出す。

 

犬から逃げ切ったことがあります

――ご自身で足の速さを自覚したのはいつごろですか?

10歳のときに広島市の陸上大会に出て、そこで優勝したんですね。予選が15秒01で、決勝が14秒80でした。小学校4年生の部では大会記録だったようで、そのときに自分の足が速いことを実感しました。あと子供のころ、父親とよく釣りに行っていたのですが、そこで犬に追いかけられたことがあって・・・。その犬から逃げ切ったことがあります(笑)。

――それはすごいですね(笑)。陸上で世界を目指そうという気持ちはいつごろから芽生えていたのでしょうか?

高校2年生のときに世界ユース陸上競技選手権大会の日本代表に選ばれて、初めて国際大会に出場しました。その世代は強い選手がたくさんいて、ケガもあったのですが、100mで4位、リレーも3位とけっこう活躍できたんですよ。そのとき、おぼろげだった「世界を目指す」ことが自分の中で『目標』になったんです。

犬から逃げ切った小学生時代
このころから数多くの記録を樹立

――競技人生のターニングポイントとなったような出来事は何かありますか?

19歳だった2012年4月の織田幹雄記念国際陸上競技大会で、10秒08を出したときですね。ちょうど大会前の日本代表合宿で、コーチとして来ていた朝原宣治さんや土江寛裕さんら名だたる先輩方にアドバイスをもらって、ストライドとピッチのバランスを矯正したところでした。大学入学以降、思うように記録が伸びない時期もあって、9秒台を本当に出せるのか、この先もやっていけるのか、そういう不安をずっと抱えていたんです。ただ10秒08を出したことで、そんな不安が「自分は世界でやっていくぞ」という覚悟に変わった。このときロンドン2012オリンピックの参加標準記録を初めて突破して、オリンピックに出場できるところまで来たんだと実感したんです。

 

考えさせられた東京2020オリンピック

――オリンピックはこれまで3度出場しています。銀メダルを獲得したリオ2016大会の4×100mリレーでの走りが印象的ですが、ご自身ではどのように感じているのでしょうか?

オリンピックなど大きな試合に良い状態で臨めることは、実際そんなにないんですよ。リオでは多くの方のサポートもあって、予選は10秒20、準決勝では自己ベストを更新する10秒05までタイムを上げられた。走るたびに自分の調子が上向き、リレーの決勝も非常に良い状態でスタートラインに立つことができたんです。ケガを乗り越えて、経験と若さのバランスも取れていたし、ウエイトトレーニングにも取り組み進化した自分で挑めた大会でしたね。

リオ2016オリンピックでは
4×100mリレーの第一走者として銀メダル獲得に貢献

――東京2020オリンピックは日本選手団の主将も務めました。

いろいろなことを考えさせられるオリンピックでした・・・。大会前の6月に初めて9秒台をマークしたのですが、膝も痛くて体に限界が来ている感じもあったんですよ。練習量をコントロールしながらやっていたので、本番も痛みが出るんじゃないかという不安もありました。加えてコロナの影響で、オリンピック開催に対して否定的な意見も多かったですよね。僕自身も「スポーツの価値って何だろう」「オリンピックって何だろう」ってずっと考えていました。自分にとっては、「走ることが仕事の一つだし、できる可能性があるなら走りたい」というのが本音でしたが、それが良いことなのかどうかは分からず、本当に悩ましかったです・・・。

日本選手団の主将を務めた東京2020オリンピック。
スポーツの価値にも目を向けた、2021年の夏だった

――東京2020オリンピック前にマークした9秒95は現在も日本記録です。そのタイムをマークしたときの走りはこれまでとどういう違いがあったのでしょうか?

走りの「リズム」が良かったですね。自分のベストパフォーマンスを出せるリズムをずっとイメージしてきたのですが、このレースではその通りに走り切れたんです。タイムや勝負を意識すると、特に中盤から後半にかけて、リズムが崩れて走りがバラバラになることが多い。そこを焦らずに一定のテンポを刻むことができた。それまでやってきたことに納得感を持てた、非常に良いレースでした。

 

体からの小さなサイン

――記録と向き合うことは精神的に苦しいこともあるかと思います。日々、ご自身とはどのように向き合っていますか?

今はまさにそういう状態で。体から出る小さなサインを見逃さないことを意識しているんです。ケガを予防し、練習の質を高める意味ですごく大事だと思っています。日ごろから自分の体と向き合って、体がどういうサインを出しているか。常にセンサーを張っておかないと見逃して、つい練習をやり過ぎてしまう。「あのサインを見逃していたな」と。ケガをするたびに思っちゃうんですよ(苦笑)。そういう体からのサインは、自分と向き合わないとなかなか見えてこないものですね。

――最近、そういうサインが出たことがありましたか?

2月にウエイトトレーニングをしているときに、違和感が一瞬あって。直後の練習に影響はなかったのですが、後々になって走りの調子が悪くなったんですよ。気づいたら腰とお尻の筋肉が張って、神経痛のようなものが出ました。3月に入っても練習は継続していましたが、いよいよ症状が出始めて。思い当たる節を振り返っていくと、2月に体はサインを出していたなと。それに気づいていたら、練習の方法を高強度のウエイトトレーニングから、体幹や体の中心を使うトレーニングに切り替えられたんですよね。一回その症状が出てしまうと、場合によっては大きなケガにつながることもある。体の小さな反応を見落とさずに、「このトレーニングを続けたらどうなるか」まで想像力を働かせていたら防げたケガだった・・・と思うことがあります。

体から出る小さなサインに、いかにセンサーを張れるか

重たくなるもの、強くなるもの

――東京2020オリンピックからのこの3年間はご自身にとってどのような時間でしたか?

めっ・・・ちゃ辛抱の時間でしたね(笑)。年齢も上がってきて、体が思うように動かない、思うように回復しない。昔だったらできていた練習ができないのを正直感じるんですよ。日本記録を出したというのもあるし、経験を重ねてくると、走ることに対していろいろなものがのしかかってきて。そういうものだけが重たくなってくる(苦笑)。ただ、それは必要なことだし、悪いことではないと思うんです。20歳(ロンドン)や24歳(リオ)のときの感じ方とは違うし、29歳で迎えた東京も難しかったですが、32歳で目指すパリ2024オリンピックはもっと大変だという気はしています。

――東京2020オリンピック後はケガとの戦いでもあったかと思います。

それでも、非常に前向きな気持ちでした。ケガは起こるべくして起こったので、そこから何を感じ取り、どう自分を変えていくか。東京2020オリンピック以降は、その意識でいて、膝を手術してからも「きっとここが良くなる」「こういう走りができるようになる」と変わった先の明るい未来を想像して、ここまでやってきています。ウエイトトレーニングの数字が上がっていて、「自分が強くなっている、成長している」ということを一つの楽しみとしてできていますね。

「辛抱の時間だった」
だからこそ得られたものが確かにあった

今までのすべてがこのためにあったんだ

――今年はパリ2024オリンピックが開催され、来年に東京2025世界陸上が行われます。ご自身が考える将来のロードマップみたいなものはありますか?

世界陸上は2013年に一回出ただけで、結果も残せていません。東京2025世界陸上はぜひ出場したいですね。もちろん出るだけではなく、自分が培ってきた心技体の強さを発揮する。「今までのすべてがこのためにあったんだ」という結果を出したいです。

――世界陸上が東京で開催される意義はどんなところだと感じていますか?

走っているところはもちろん、近くで選手が歩いているところを観るだけでもすごい迫力があるんですよ。そういう「リアル」を日本の皆さんにも見てほしいですね。すごくカッコいいと感じてもらえるはずなんです! それはテレビの向こう側の世界じゃないんです。目の前で、身近なものとして感じてもらえるチャンスがある。一人でも多くの人に「カッコいい」と思ってもらえたら、陸上選手をやっている僕としても嬉しいですね。

「リアル」の迫力を感じてほしい。
一人の陸上ファンとしての山縣選手が覗いた瞬間

――東京2025世界陸上での目標を教えてください。

目標はずっと「決勝に行きたい」と言っているのですが、それを言うと肩に力が入っちゃうんですよね(笑)。最近は言わない方がいいんじゃないかと思っています。とはいえ、良い年齢なので、良い結果を出したい。自分が世界大会で成し得ていないことは、『個人種目で決勝に行くこと』に尽きるんですよ。競技人生があと何年あるか分からないですが、そこに向かって全力を出し切ったと言えるような「今」を積み重ねたい。9秒台を出せれば手が届く、それができたら競技人生に悔いはないですね。

 

「なんか俺、パスタこねたい」

――ここからは山縣さんのプライベートな面をお伺いさせてください。休日はどのように過ごされていることが多いですか?

基本は体を休めています。何をやっていても「明日の練習に響くんじゃないか」と思ってしまうので、家にいることが多いですね・・・。家では、よく料理をしていますよ。「今日は何を作ろうかな」と考えるのが楽しいんです。何も思い浮かばないときは同じものばかり作っているんですけど、天から降ってくることがあるので(笑)。

――天から降ってくることがあるってすごいですね(笑)。

いやいや、そんな大したものではないですよ。急に「なんか俺、パスタこねたい」みたいなことがあって。昨日(取材前日)も降ってきて、パスタを作りました。最近は料理動画を見て勉強しています。じゃがいもを混ぜて、ニョッキを1~2分茹でて、わりとすぐに食べられる。あとはソースをどうするかなんですけど、僕はトマトを乾燥させるのが好きで(笑)。夏場だとカビが出たりするので、けっこう難しいんですよ。前にトマトがたくさんあったので、大量に作ったことがあります。余り物でそういうソースが作れたりすると嬉しいんですよね。

天から、降ってきます
※ご本人提供

――得意な料理はあるんですか?

うーん・・・特にはないんですけど、和食、洋食、中華とわりと何でも手は出しますね。今言ったパスタは余り物で作ったわりには本当に美味しかったんですよ。(笑)。その辺にあるものだったら想像だけで作れます。

――SNSを拝見するとお皿なんかもこだわっていますね。

好きなんですよねぇ・・・。買い物に行ってもキッチン周りの皿が売っているとテンション上がっちゃうんですよ。見たら迷いなく入っちゃいます。「この形のこの皿は持ってないな」「この形見たことない!」という感じで。ついにはテーブルにもこだわり始めてしまって(笑)。でも好きなことの領域が狭いんです。もっと広げたいなとは思ってるんですよ。

料理を盛り付ける皿や、
テーブル・椅子にもこだわっている
※ご本人提供

コンディショニング=ゲームやピアノ?

――最近ハマっていることがあったら教えてください。

昔からゲームが好きで、最近また復活してきたんです。前にクリアしたゲームをもう一回やっているんですけど、何が良いって「没入できる」のがいいんですよ。僕は何もしていないと、24時間競技のことを考えてしまう。それでめちゃくちゃ疲れるんです・・・。ゲームをやって没入していると、人によっては時間を無駄にしたと思うかもしれませんが、僕にはコンディショニングにつながるんです。体を動かさずに楽しめてよかったなって。

――どんなゲームをやっているんですか?

ドラクエです。一度クリアしているんですけど、やりこみ要素で配合を繰り返しています(笑)。基本的にはRPGが好きです。対戦系は負けるとストレスが溜まってしまうのでやらないです。

「没入」が心も体もリフレッシュしてくれる。

 

――ピアノを弾いている様子をSNSに投稿されていましたが、始めたきっかけは?

コロナ禍で家にいる時間が長かったときに始めました。昔から楽器への憧れがあって、最初は好きな曲を1曲でも弾けたら満足するかなと思ったんですけど、途中からは暗譜(楽譜なしで演奏)するだけでは満足できなくなってしまい・・・(笑)。途中で止まると弾き直せなくなる自分にストレスが溜まってしまい、これはもう音符を読めるようになるしかないなと。走りにおいてもリズム感は大事なんですよね。その点、僕はセンスがなくて、複雑なリズムを体で刻めない。そこを養うのに基礎からしっかりやるのもいいかなと思い、ピアノを始めたんです。

――弾けるようになった曲はありますか?

いやぁ、ダメですね(苦笑)。弾けると言えるのは、ジブリ映画「猫の恩返し」の主題歌『風になる』の・・・ジャズバージョンだけです。ジャズは原曲があって、それを自由にアレンジするものなんですが、僕はそのアレンジしたものしかできない。なんでこの曲かというと、ジブリが好きで。でも習得するまでは半年くらいかかって大変でした。毎日長い時間やっているわけではないですし、生まれ持ったセンスもあるんでしょうね。

 

スプリンターとして天才だと思っている選手は

――自分以外で、おすすめの選手を紹介するならどなたですか?

100mはタレントがいっぱいいますね。前からすごいと言っているのは栁田大輝くん。あとは先日、オーストラリアで一緒にレースに出た本郷汰樹くん。彼は面白いですよ。ベストは10秒12で、今年に入ってからニュージーランドで練習しています。練習はどうやら一人で行っているようで、「よく一人で長期合宿できるな」と。そういうメンタリティもですし、体の使い方も個人的に好きなんです。これから伸びてくると思うし、気になる選手ですね。

――仲の良い選手はどなたですか?

同じ場所で練習している永田駿斗と、同じSEIKO所属のデーデー・ブルーノですね。近くで見ていて、駿斗はウエイトトレーニングでもベストを出して、タイムを更新しそうな雰囲気がある。デーデーはめっちゃ良い奴なんですよ。真面目で、状態が良くないときでも投げ出さない。調子を取り戻すために、そのきっかけ探しを根気強くやるタイプなんです。自分も負けていられないなと刺激を受けますね。

タレント揃いの100m男子。
仲が良いというデーデー選手と
※ご本人提供

――オリンピックなどで一緒に戦った選手たちについてはどう思っていますか?

僕がスプリンターとして天才だと思っているのは、桐生(祥秀)なんです。1月に60mの日本室内記録(6秒53)を出していますよね。あと今年は多田(修平)もきています。調子が良いんだろうなと感じますね。

――桐生選手はどういうところが天才だと思いますか?

彼の中でいろいろ考えている技術的なことやトレーニングに関するこだわりがあると思うんですけど、そういうことをあまり喋らないんです(笑)。僕としては、どんな練習をやっているのか、どんな意識でやっているのか、すごく興味があるんですけど、聞けたことがない。取材を受けていても、そういう話は全然しなくて。こういう動きをできたらいいなっていつも思うんですよ。

「天才」と認める桐生選手。
共に9秒台の自己ベストを持つ長年のライバル
(写真は2013年日本陸上選手権より)

――最後に東京2025世界陸上を楽しみにしている読者の皆さんへメッセージをお願いします!

東京で世界陸上が行われることはなかなかないですよね。前回は1991年で、僕も生まれていません。今の世代で活躍している選手たちを生で観られるのは、一生に一回の機会だと思うし、そんなチャンスはめったにありません。「リアル」の迫力をぜひ感じてほしいです。僕が言うのもおかしいかもしれないですが、陸上選手の体のすごさを観てください!

X:@V7Jqq
Instagram:y.ryo34

《Team Seiko》
Web:https://www.seiko.co.jp/sports_music/sports/team_seiko/

《セイコースポーツ》
X:@sports_seiko
Instagram:seiko_sports

 

text by Moritaka Ohashi
photographs by 椋尾 詩

共同制作:公益財団法人東京2025世界陸上財団

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