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陸上競技・末續慎吾 | 「だから、走る」 44歳レジェンドが楽しむ“本当の挑戦”

2025.01.07

「今が一番燃えているかもしれない」。末續慎吾選手は楽しげにそう言って、穏やかな笑みを浮かべました。パリ2003世界陸上の男子200mで、日本人として初となるスプリント系種目での銅メダル獲得。北京2008オリンピックでは4×100mリレーで銀メダルを手にするなど、数々の歴史を作ってきた44歳は今なお現役のスプリンターとして競技を続けている。そして、今年開催される東京2025世界陸上への挑戦を表明しました。「誰のためでもない、自分のために走る」。20年以上破られていない200mの日本記録(20秒03)を保持するレジェンドが新たに紡ぐストーリーとは。

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観客席に立ち手すりに手をついて遠くを見つめている末續選手の写真。

競技場に立ってこちらを見ている末續選手の写真

末續 慎吾(すえつぐ・しんご)
1980年熊本県生まれ。男子200m日本記録保持者(20秒03)

九州学院高等学校、東海大学を経て、ミズノ株式会社に入社。社内留学で東海大学大学院修了。2015年4月よりプロの陸上選手として独立。2018年には自身の走ることに対する世界観を表現した「EAGLERUN」を起ち上げ、選手活動とともに後進の指導も行う。
世界陸上4大会、オリンピック3大会出場。スプリント種目で世界陸上・オリンピックの両大会でメダルを獲得している日本唯一の存在。
『44歳、競技者』。築き、磨き上げてきた実績と個性。2025年、Only Oneのレジェンドが今だからこその輝きを放つ。

 

自分勝手な感情で楽しめるもの

――2024年11月に東京2025世界陸上に挑戦することを表明しましたが、どういう背景があったのでしょうか?

実はパリ2024オリンピックも目指そうと思って、準備を含めていろいろと動いていたんですね。ただやるからには各所のサポートも必要になる。一般的に見て44歳という年齢で、オリンピックや世界陸上を目指すことに対して、共感はしつつも、結果への保障がないと支援はなかなか集まらないんです。その中でもできる限りのトレーニングはやっていて、10秒6くらいのタイムでは走れていました。自分の火は消えていないし、今後も走りを磨き続けられる自信もある。とはいえ、自分一人の力だけではできないことも分かっていたので、スポンサー探しに奔走していたんですけど、もう少し自らの言葉でしっかり世の中に話さないとダメだと感じたんですね。僕の挑戦に対して今どれだけの人が反応してくれるのか。それで「挑戦します」と宣言したら、予想以上に反響があった。これまで自分で動いて見つからなかったものが、宣言したことによって「応援したい」という方が現れたんです。

――挑戦しようと思った理由は?

今の日本人がスポーツに求めているものは、分かりきったストーリーなのか、それとも僕のようなバックボーンがあって、リスクしかないことに挑むストーリーなのかを確かめたくなったんです。今回の挑戦は、世界陸上の舞台に立つつもりでやっていますけど、プロセスも重要です。スポーツを通して様々な人生のストーリーが絡み合い、終わったあとに果たしてどんな感動が生まれるのか。
今の日本のスポーツシーンは、だいたい想像がつくんですよ。その方が分かりやすいし、ビジネス化されていれば当然のことだと思います。でも本当のスポーツや挑戦というのは、先が見えないから面白い。先が見えないからこそ、その間のストーリーを自由に紡ぐことができる。この挑戦に「無理だ」という意見もあるでしょう。でも僕が思うスポーツというのは、「自分勝手な感情で楽しめるもの」であり、「結果が決まっていないもの」なんです。それを今回の世界陸上で全身全霊をかけて表現しようと思っています。

インタビューに応える末續選手の写真

クラウチングスタートの姿勢をしている末續選手の写真
東京2025世界陸上への挑戦をスタートさせた末續選手。
ここからどのようなストーリーが紡がれていくのか

――末續選手にとっての「挑戦」とは?

若いときは競技力が高いから、世界陸上を始め様々な舞台が用意されている。でもその舞台では勝つことしか考えてなくて、心から120%「この舞台に立ててよかった」と思えていなかったんです。だから、今も競技を続けている。20代のころは走る前から結果がだいたい分かっていたんですけど、今は本当にどうなるか分からない。そうなるとやはり怖い。これが精神面での今と20代との違いです。
当時は国の威信を背負って、国や企業のため、コーチだった高野進先生始め様々な関わりがあった人のために走っていた。決して自分のためだけには走れなかったんです。国が「やってくれ」と言った事業を、北京2008オリンピックの4×100mリレーの銀メダルという結果で成立させた。それは自分がやってきたことの誇りにはなっています。ただ、オリンピアンとして走る以上、それは「挑戦」というよりも「義務」なんです。
でも、今は誰のためでもない。末續慎吾が、「かけっこが大好きな末續慎吾」であるために走る。そんな自分が、できるかできないかは別として、かけっこの世界一を決める大会に挑戦しないのは違うだろうと。自分自身の心根の部分でやりたいことに向かうのが、僕にとっての「本当の挑戦」なんです。だから、今が一番燃えているかもしれませんね。

インタビューに応える末續選手の写真

観客席に立って遠くを見つめている末續選手の写真
誰のためでもない。自分のために走る。
何にも縛られない「本当の挑戦」を楽しんでいる

丸いんだけど、顕微鏡で観たらギザギザ

――先日、十種競技の丸山優真選手を取材したんですが、末續選手の「〇(丸)山になるな、□(四角)山になれ」というアドバイスがすごく響いたとおっしゃっていました。

彼は、根本的に優しいんですよ。性格も穏やかで、人間関係を含めていろいろなところでバランスを取ってしまう。でも一番になることを考えると、マイルドな「丸山」という人間では脅威にならないんです。かと言って尖り過ぎると、一点に尖ってしまう。性格的に彼はそういうタイプでもないので、少し角をつけたいなと思って、最初は「六角丸」「十角丸」というのも考えたんですけど、それはワードセンスがないなと(笑)。だから「お前は□山や」と言ったら、本人も「ホンマっすね!」という感じで。攻撃性は必要ないけど、もう少し「俺はこうなんだ」と角をつけた方がいい。脅威として見られるということは、ライバルとして見られること。彼の試技を観ていても、全種目を高いレベルでできるけど突出した種目がなく、まだ角が足りないと思ったんです。その角が全部でかくなってきたら、大きな丸になる。だから「〇山になるのはまだ早い。まず□山になって、もっと削られろ」と言ったんですね。それ以来、彼の中で何かが少しずつ変わってきて、どんどん器が大きくなっているのは感じます。

――その話を聞いたとき、「尖るんだったら△(三角)山の方がいいんじゃないか」と思ったんですけど、一点に尖り過ぎてはダメだったんですね。

そうですね。若い子に「△のように尖れ」と言ったら、それしかやらなくなる。「□山になれ」というのは、彼用の言葉です。指導でもいろいろな言い方はしていて、伝わり方はアスリートによって全然違う。丸山は頭が良いんですけど、妙に少年っぽいところもある。その中間を取って伝えた感じです。

左手を胸に当てながらインタビューに応える末續選手の写真
「□山」
末續選手ならではのワードセンス

――末續選手自身は今、尖っているんですか?

いや、すごく丸いですよ。丸いんだけど、顕微鏡で観たらギザギザです(笑)。なんか不思議な感覚なんですよ。触れると切れちゃう部分があるんですけど、たぶんそれは守らなければいけないところなんだと思います。結局、僕は尖っているんでしょうね。

――尖っていないと、こういう挑戦はしないですよね。

今は競技者なので、やっぱり「勝ちたい」とか「一番になりたい」という強い気持ちがあると尖っちゃうんです。そこは磨いていかないといけない。でも尖り過ぎると折れちゃうので、それを守りながらやっていきたいですね。ただ、今後は後進の育成もあって、人を受け止めていかないといけない。そういう意味では丸くなってくるんだと思いますけど、今も指導はしていても、平気で選手とケンカします。だから完全に丸くなることはないかな(笑)。

膝に手をおいてインタビューに応える末續選手の写真

クラウチングスタートの姿勢をしている末續選手の写真
競技者である以上、完全に丸くなることはない。
尖り過ぎず、磨きながら、走り続ける

心の情熱を、自分に言い訳しながら冷ますのを、やめた

――世界陸上に向けて、今後1年間をどのように過ごしていきたいと考えていますか?

とにかく「出会いを大事にする1年」にしたいですね。人は人でしか変わりえないので、出会いの中で何かを生み出しながらやっていきたいです。今回の取材もそうですよね。東京都の方と会って、このメッセージが放たれて、また何か影響が生まれる。そしたら今度は違ったストーリーが出来上がり、人と人が結びつき、それが発信されていく。その繰り返しで大きな渦にしていき、どんな「末續慎吾なりの世界陸上」が創られるのか。それを楽しみにしています。

――世界陸上は2003年に200mで銅メダルも獲得。これまで4回出場していますが、末續選手にとってはどのような大会でしょうか?

末續慎吾のコンテンツの中では、オリンピックよりも人生の転機や節目に関わっていることが多いですね。2007年には大阪で大会が行われました。大阪の方たちは、一人の人間として僕を応援してくれていた中で、僕は競技者として結果を出したかった。だけど結果を残せず、ふさぎ込んでいたと思うんですよ。あのとき、そういう温かいものを受け止められなかったな・・・という思いがあった。それで37歳のときに大阪で日本選手権があったんですけど、「よう戻ってきた!」と関西弁で声援を飛ばしてくれた方がたくさんいたんです。そういう意味で、振り返ると大阪2007世界陸上は精神的にもけっこう大きな試合でした。自国開催だったので、周りも盛り上がっていましたし、だからこそ自分の中では恐怖感もありました。でも今は、僕の熱量の方が絶対に大きい。自国開催に対して当時とは全く違う受け止め方をするでしょうし、そのとき言えなかったことを伝えながら、向き合っていけると思っています。

インタビューに応える末續選手の写真
パリ2003世界陸上ではスプリント系種目で日本人初の銅メダルを獲得。
今も唯一無二の存在だ

 

――これからも競技人生は続いていくと思いますが、今後の夢や目標があったら教えてください。

生涯の夢は、100歳を超えても元気で100mを走っていることですね。あとは結果という義務を果たすことは大前提なんですけど、それ以上にみんなが「この挑戦は面白い、ワクワクする」ということに価値がつくスポーツの世界を、自らの肉体をもって創っていきたいです。様々な方法を使って、結果だけにとらわれないスポーツとの新しい関わり方や価値観を、自分のためにも創りたい。過去を振り返ったときに、「日本人選手は黒人の選手に勝てない、決勝には残れない」という考え方の時代に僕は生まれてきた。でもそれは覆されましたよね。そういうパラダイムを、有形無形に変えてきている人生ではあったと感じるんです。
40代も半ばになると、本当は心に思うことがあるのにいろいろな理由で言い訳しながら、心に火をつけなくなっている。それを理由に熱を冷ますことを、僕はやめました。逆に、やっていい世代なんです。今の10代から20代はコロナ禍を経験して、将来がなかなか見えづらい。60代以上は夢を見ている方もいらっしゃるとは思いますが、今をしっかり生きなければいけない。でも40代や50代は体力があって、まだ青春をしていて、夢を見られる世代なんです。この世代が無茶苦茶なことをやらないとつまらないじゃないですか。そういうことを見せたら、上の世代は「若造頑張れ」となるし、若い世代は「おじさんたち頑張ってる」となる。僕の先輩が、僕に感化されて走ったら肉離れをしたんですよ(笑)。それは気を付けてほしいんですけど、子供は「父ちゃんカッコいいわ」と誇らしく語るんです。子供が見たい姿ってそういうものだと思うし、いつまでもバカみたいなことをしている大人で僕はいたいですね。

――僕も今日から走ってみようと思います!

くれぐれも肉離れには気を付けて(笑)。

陸上トラックの上に立ってこちらを見ている末續選手の写真

 

相棒「こまる」との本音トーク

――休日はどのように過ごされていることが多いですか?

愛犬がいるんですよ。ミニチュアダックスフンドで、名前は「こまる」です。忙しくてなかなか遊んであげられないんですが、休みの日はその相棒と一緒にカフェに行ったりします。執筆もするのですが、そういうときにこそ文章が浮かんでくる。こまるは若いときのしつけが良くて、僕が考え事をしているとうるさくしないんですよ。それで遊んであげようとすると膝の上に乗ってくる。今は相棒との時間を大切にしている感じですね。

――相棒と過ごす時間は、末續選手にとってどのような時間ですか?

「本音」って口で喋ることじゃないと思うんですよね。犬は言葉を喋れないからこそ、本当の部分を汲み取ってくれる。だから、こまるとは本音トークをしている感じです。何か変な話になりますけど(笑)。僕が心の中でしか思っていないことを汲み取って、行動するわけですよ。ちょっと「練習でうまくいかなかったな、どうしようかな」と考えていると、こまるは僕をじーっと見てます。それで僕が考え終わったあとに、おもちゃを持ってくる。感じ取っているんですよね。あえて二人という言い方をしますけど、二人で本音トークをしています。本音のやり取りは一番ストレス解消になるんですよ。人間は同じ言語だから、実は本音が見えなかったりする。でも人間と犬は違うので、嘘偽りないものが出てくる。

インタビューに応える末續選手の写真

末續選手と毛糸の赤い耳当てをしている愛犬の写真
休日は相棒のこまると二人で本音トーク
※ご本人提供

――飼い始めたのはいつごろからですか?

コロナ禍くらいからです。ペットショップにふらっと行ったらふと目が合って、かわいいなとは思ったんですよ。けど、そのあと6日間くらいずーっと頭から離れなくなって眠れなくなっちゃったんです。それでまたペットショップに行ったら、まだいたんですよ。そのとき、「これはもう連れて帰ろう」と。一目惚れを通り越して、6日間ずっと考えていたくらいでしたからね。
こまるは僕と似ているところもあって。犬は体調を崩すと弱いところを丸めて、「くるん」となるんですね。一回、僕も同じタイミングで風邪を引いたときに、同じ格好で寝てたんですよ(笑)。これが一番回復の早い体勢なんだと。動物はすごいですよね。言葉じゃなくて本能で語りかけてくるし、人間が見えていないところを見ている。だから好きなんです。飼い始めて5年目になりますが、今はこまるがいない生活は考えられないですね。

こちらを見て微笑んでいる末續選手の写真

 

僕はカモですよ

――話を伺っていて、末續選手のワードセンスや言語化能力がすごいなと感じたんですけど、どうしてそんなに言葉が出てくるんですか?

僕はもともと心象風景を具現化するのが得意でした。陸上の道に進まなかったら、美術系の大学に行っていたと思います。どちらか迷っていたくらい美術系のクリエイター気質なんです。陶芸や造形なんかも好きですね。今はそれが肉体と言葉というだけ。あとは教えている子に関西人がいるんですよ。こいつがまた面白い。話がうまくて、そのオリジナリティが入ってきて磨かれたという感じかもしれないですね。

――元からアウトプットは得意だったんですか?

いや、昔は苦手でした。僕は一回、走れなくなった時期があったんですけど、そのときに「話す」ことによって解決したんです。生きるために、話した。何でもそうだと思うんですよね。海外でも話さないと生きていけない。どんな形でも自分の言葉を伝えなければ、末續慎吾であることを証明できない。そういうアイデンティティの崩壊が昔あったので、そこから書いたり話したりしながら磨いていったんです。元々持っていたものはあったと思うんですけど、後天的に身に付けられたものでもあると思います。

両手を使ってインタビューに応える末續選手の写真
インタビュー中もその言語化能力は際立っていた

――最近何かハマっていることはありますか?

Instagramにハマってます! 元々は苦手で、どうしてもSNSはネガティブな印象があるじゃないですか。とはいえそれを考えずにやってみたら意外と楽しくて(笑)。音楽もつけたり、文章を作ったりして、こういう出会い方もするんだなと。前は携帯がガラケーでしたし、例えばメンションするとか、フォローするのはいいのか、これはナンパに見えないか・・・と気にしちゃって。要するに義理や筋といったアナログな人間関係を重視していたので、文化的なものだと認識できていなかった。でもSNSの世界はもっと軽い情報空間だから、自由度が増してむしろ良かったなと。あとは・・・犬の洋服にハマってます。

――犬の洋服?

皆さんが思っているより犬の洋服はすごいですよ。びっくりするくらい・・・高い。そこはもちろん選ぶんですけど、僕の服の値段と変わらない。何だったらそれにお金を投入しているところもあって。犬の洋服を置いている店があって、店員さんも犬が大好きだから、すごく可愛がってくれるんですよね。それにノせられてつい買ってしまう。だからその店にとって僕はカモですよ(笑)。すぐに買ってしまうから、なるべく行かないようにしています。

洋服を着ている愛犬の写真
すぐに買ってしまいたくなっちゃう・・・
※ご本人提供

「アース」 人をつなぐ魔法の言葉

――ご自身以外で、おすすめの選手を紹介するならどなたですか?

山縣亮太選手と丸山(優真)ですね。山縣については、僕が地元の熊本で休養しているときに、後輩を通じて「熊本に行ってもいいですか」といきなり連絡があったんです。ちょうど彼が20歳くらいで、ロンドン2012オリンピックに出場したあたりですね。何かを学びに来たのか分からないですけど、「やっぱり強い奴、速い奴はこういうところがあるんだな」と思ったんです。後先考えないで行動する。初対面だったんですけど、熊本駅に迎えに行って、2時間くらいドライブをしましたね。僕は競技の話というより、自分のセンシティブな部分を話しました。それで次の日、僕の高校で何かの記念パーティーがあったので、「せっかくだから来なよ」と誘ったんですけど、夜に山縣が胃腸炎になって(苦笑)。ちょうどホテルを手配してくれた人が薬剤師だったので、薬を調達して寝させて、翌日は少し元気になったから、また競技の話をしたという感じですね。真っすぐで後先考えない、全力少年という印象だったんですけど、その後メキメキと力をつけて、今は100mの日本記録保持者になっている。大きなケガもありながら、記録だけではなく自分自身とも向き合ってきた。自分を信じて走り続けている姿が、本当の日本記録保持者だなと思うし、「山縣亮太」という選手の強さだと思います。

――丸山選手については?

丸山は元々大器と言われていた中で、いろいろなプレッシャーを受けてきたと思います。なかなか開花できずにいましたけど、踏ん張ってようやく花を咲かせてきた。期待が大きい選手は、結果が出ないと潰れて辞めたりする。でも彼は諦めなかったし、陽のオーラも放っている。山縣と同じで心根の確かな部分を持っていますよね。東京2025世界陸上では彼らの背景を分知ってもらった上で観てほしいという思いもあって、あえて二人の名前を出しました。

陸上トラックを背にこちらを見ている末續選手の写真
熊本へいきなり訪ねてきた山縣選手。
100mの日本記録保持者として、
大きなケガもありながら今なお走り続けるその姿は、
末續選手にも重なるところがある

――SNSなどで使っている「アース」という言葉はどういう意味を持っているんですか?

僕の母校は熊本の九州学院高校なんですけど、当時は休み時間に野球をしたり、先生たちと生徒の関係がすごく近かったんですね。例えばOBが東京で店を出していて、九学の卒業生が来たら「お前、九学か。じゃあ、お金はいらん」というくらい母校のつながりが強い。そこでは「おはようございます」や「ありがとうございます」という挨拶が、全部略して「アース」なんですよ。怒られても「はい、すいません」が「アース」になる。つまり「アース」は人との関係の中で全てを包括した言葉なんです。当時は九学内だけでの話だったんですけど、僕が関東に出てきて使い始めたら、さらに広まってしまい・・・。小田原に総合格闘家の佐藤ルミナさんがいるんですね。それで格闘家の挨拶も「押忍(オス)」じゃないですか。「オス」より「アース」がいいんじゃないかとなって、二人で言いまくっていた(笑)。そしたら一人歩きし出して、今は小田原の小学生たちも言っているらしいです。この間、武井壮さんも「アース」って言っていたし、幼稚園や老人ホームでも使われている。最近は「言っていい?」という依頼も来るくらい。いろいろな人を簡単につないでしまう言葉なんですね。皆さんも、しつこくない程度に使ってください!

陸上トラック上で、左手はポケットに入れ、右手は親指・人差し指・小指を立ててこちらを見ている末續選手の写真

インスタグラムに掲載したアースの写真をコラージュした画像
全てを包括する言葉「アース」。
2025年の流行語大賞・・・成るか!?

――最後に東京2025世界陸上を楽しみにしている読者の皆さんへメッセージをお願いします!

これまで皆さんが観てきた世界陸上があって、もちろん速い選手や遠くに飛ばせる選手たちに心が動くと思います。でも、「記憶に残る」のはそういう選手だけではない。それを見つけるには、『推し』を見つけてみること。その選手と、その選手が持つ背景とが紡ぐ世界陸上に注目すると、より面白くなると思います。僕も然り、山縣も然り、丸山も然りで、それぞれのバックボーンやストーリーを追いかけた上で、他の選手とのつながりも含めて観てみると、すごく感情移入できる。ぜひ、そうやって楽しんでほしいです。
会場の国立競技場は、きっかけがないと行かないですよね。僕もまだ走ったことがない。だからとても楽しみにしていますし、皆さんと一緒に「初めての国立競技場」を体感したい。ぜひ国立競技場に足を運んでください!

観客席でポケットに手を入れながら遠くを見つめている末續選手の写真

いちょうを背に遠くを見つめている末續選手の写真

うつむきながらインタビューに応える末續選手の写真

陸上トラックを背にこちらを見つめている末續選手の写真

窓際でインタビューに応える末續選手の写真

観客席でポケットに手を入れ遠くを見つめている末續選手の写真

 

Instagram:suetsugu.shingo_official
X:@suetsugu_shingo

text by Moritaka Ohashi
photographs by 椋尾 詩

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