奥村 仁志(おくむら・ひとし)
2000年福井県生まれ。男子砲丸投 日本記録保持者(19m09)
敦賀高校、国士舘大学卒。2023年4月よりセンコー株式会社所属。
中学3年生時に中学記録(17m85/5kg)を打ち立てたほか、全国中学校体育大会では大会新記録で優勝を飾る。敦賀高校では円盤投でもインターハイに出場。国士舘大学進学後にはそのポテンシャルが開花し、4年生時に日本インカレを制した。
社会人となった翌2023年には日本選手権で初優勝し、ついに日本のトップに立つ。2024年には日本選手権を連覇するとともに、全日本実業団選手権、国民スポーツ大会を制し「全国3冠」を達成。同年8月には前人未到の19m台を叩き出し、名実ともに国内最強の座へ。勝負の2025年、更なる高みを目指し世界へ挑む。
投げるというより押し出す
――陸上競技を始めたきっかけを教えてください。
始めたのは中学生になってからです。地元の中学校はすごく人数が少なくて、陸上部と剣道部しかなかったんですね。仲の良かった友達が陸上部に入ったので、僕も一緒に入部したのがきっかけです。その当時から179cm、85kgと体が人一倍大きかったので、顧問の先生から砲丸投を勧められました。
――中学時代には相撲でも全国大会に出場していて、卒業時に相撲部屋からもオファーがあったそうですが、砲丸投とどちらにしようか迷わなかったのでしょうか?
陸上部の顧問は砲丸投専門の先生ではなかったんです。それでも中学2年生のときに12m84cmを投げることができました。相撲もある程度はできたんですが、砲丸投にしっかりと取り組みたいなと思ったので、特に迷いはしませんでしたね。
――砲丸投のどういう部分に魅力を感じたのですか?
ハンマー投や円盤投も重いと思うんですけど、砲丸投は他の種目と違って自分の首に砲丸をつけるので遠心力を使わない。自分の体の近くにあるものを力で投げているように見えて、実は体のいろいろな部分を駆使しないと遠くに飛ばないんです。やればやるほど力だけじゃないんだということを理解する。そういう技術的な部分が魅力であり、逆に難しさでもあります。
――遠くに投げるためには、力以外で何が必要なのでしょうか?
体を回したり、手を振り回すと遠心力を感じるのは理解できると思うんですけど、体の近くにある物体を遠くに投げるためには、力の伝え方が重要になってきます。テコの原理を使うイメージで、遠心力を推進力に変える。日本語だと砲丸投と言うんですけど、英語だと『Shot Put』というんですね。投げるというより押し出すイメージなんです。その押し出すタイミングで、首の近くで得られた力を砲丸にどれだけ伝えられるかが重要になります。
自覚と自立 “形”の追及が自信へ
――競技人生の転機となった出来事は何かありますか?
社会人1年目は、自分の中で考え方が変わったという意味で転機だったかもしれません。その年(2023年)の日本選手権で初めて優勝して、追う立場から追われる立場になったんですね。このままでは来年の日本選手権では負けるかもしれない、どこかを変えないといけない・・・とそのとき思ったんです。教えてもらったことを愚直にやっていたのが大学時代。そこから、自分で考え、噛み砕いて、落とし込んでいけるようになったのが、この日本選手権での初優勝のあとからでした。本当に自分が一気に変わったように感じます。
――ご自身の理想に近い投てきができた試合を1つ挙げるとすれば、どの試合になりますか?
去年(2024年)の日本選手権ですね。日本記録を出した8月の福井の試合(Athlete Night Games in FUKUI 2024)よりもそちらの方が良い投げでした。福井は地元だったし、いつもとは違う雰囲気の試合でした。でも日本選手権は雨が降っていたにもかかわらず、18m53を投げることができた。そういう意味では理想に一番近かったと思います。雨じゃなければ、感覚的には日本記録を出せていたかもしれないです。
――日本選手権では、どのような部分が良かったと考えていますか?
雨の場合、普通はターンのスピードを落とすなど雨対策をするんです。だけど、あえてそのスピードを上げたり、雨を感じさせない練習通りの投げができていました。この試合に入るにあたり、勝てるという絶対的な自信があったんです。だがら迷いなく臨むことができていましたし、精神的にも雨を恐れず投げられたのが良かったかなと思います。
――絶対的な自信があったのは、大会前まで良い練習ができていたということでしょうか?
日々の練習は距離ではなく“形”をひたすら重視しているんですね。このときは2週間前くらいから調整をしていて、自分が理想とする“形”ができていたんです。その確信が自信に繋がっていました。僕は試合では練習から2mくらい記録が上がるタイプですし、練習中の距離は基本的には気にしていません。練習ではどれだけ理想の“形”をつくれるか、そのアプローチも含め納得のいくものができていれば、おのずと自信を持って臨めるんです。
職業病? 駅で投げ方をイメージして・・・
――昨年8月に19m09を投げ、日本記録を更新しました。日本人初の19m台でしたが、どんな感覚だったのでしょうか?
そのときは練習から本当に調子が良くて、自己ベストくらいの距離が出ていました。形を重視しつつ、距離も付いてきていたので、気持ちとしても「19mを狙える」という感じだったんです。しかも地元の福井。投げるとしたらここしかないだろうと思っていました。実際に最高の雰囲気でしたし、記録を出した最後の6投目では、地元の大歓声もあり気持ちの高ぶりは日本選手権以上でした。その興奮している中でも、我を忘れず冷静に、練習でつくり上げてきた理想的な形で投げることができた。精神面でのパフォーマンスも含め、これまでのアプローチが「日本記録更新」という結果で体現できたことは嬉しかったですね。
一方で、日本記録を出して盛り上がりはしたんですけど、すぐに監督と話したのは「次はどこを目指すか」ということ。この記録に満足しないで、さらに高みを目指すことに気持ちがシフトしましたね。
――その高みを目指していくためにどういう部分を改善していく必要があると考えていますか?
たまたま一発だけ出た19mなので、それでは世界どころかアジアでも入賞ができるか分かりません。19m台をどれだけ安定して出せるかが今後の課題だと思っています。あのときの投げよりも良い動きをして、もっと遠くに飛ばさないといけない。19mをコンスタントに投げるにはどうしたらいいかを常に考えています。
――男子の世界記録は23m38、アジア記録は21m80。日本人は体格のハンデもある中で、そこをどう補っていこうと考えていますか?
世界との差を埋めるには、技術面に加えて特に投げの「スピード」を上げていかないといけないと思っています。パワーの差が顕著にあるところで、もちろんパワーの強化もしていきますが、それだけではやはり到底及ばない。この4mという距離を少しでも埋めるためには、「奥村仁志らしさ」をより伸ばしていくことが大事なんだと考えています。その一つが「スピード」を上げること。このアプローチがうまく“形”につなげられれば、次のステージに進むことができると思っています。
――日ごろから自分と向き合う上で、意識して取り組んでいることはありますか?
自分の投げを毎日見るようにしていますね。あとは電車の中とかでも海外の選手の映像を見ています。気になる動きがあると、途中の駅で降りて自分の投げと照らし合わせて真似しちゃったり・・・。どうしてもその場で確認したくなっちゃうんですよ! 職業病かもしれないですね(笑)。
「このレベルで戦える」という意識の高まり
――日本代表として日の丸をつけることにはどういう思いがありますか?
日本代表として大会に出場したのは、アジア選手権が初めてだったんですね。やはり日本を代表するからには、恥ずかしい試合はできない。日の丸は重いですけど、世界陸上のような大きな大会に今後出させてもらえるようであれば、次のステップにつながる経験ができればいいと思っています。
――ご自身にとって世界陸上はどのような舞台だと感じますか?
世界陸上は23mを投げられる選手たちに囲まれる。その中でいかに本領を発揮できるのか、堂々としていられるのか。世界のトップ選手を間近で見られる機会もあまりないですし、そこで一緒に戦えると思えるレベルまで意識が高まれば、自分の実力も上がっていくと考えています。アジア選手権に出場したときも、「このレベルで戦える」と感じられたので、世界陸上でもそういう気持ちになればいいなと思っています。
――東京2025世界陸上での目標を教えてください。
もし出場できたとして、他の選手に食らいついていくなら20m以上を投げないといけない。それくらいの記録を出さないとファイナルには進めないので、そういう雰囲気の中でどれだけ自分の力を発揮できるか。その挑戦の場でどんな自分に出会えるかを楽しみにしています!
野球もサッカーもアルペンスキーも
――ここからはプライベートな部分をお伺いさせてください。小さい頃はどのような子供でしたか?
めちゃくちゃ外で遊んでいました。体を動かすのが好きで、いろいろなスポーツをしていましたね。陸上以外は長続きしたわけじゃないですけど、野球とサッカーはクラブチームに入っていたし、相撲、バレーボール、アルペンスキーなんかもやっていました。野球はファーストかピッチャーで4番を打っていた。サッカーは最初キーパーで、そのあとはセンターバック(CB)をやっていましたね。ただCBをやっていると、少し触れるだけで相手が吹っ飛んでしまうので、すぐにファウルを取られる。よく分からないままイエローカードをもらっていました(笑)。
――アルペンスキーなんかもやられていたんですね。
学校の体育の授業にアルペンスキーがあったので、4年くらいやっていて県で入賞くらいはしていました。スキー場が学校から見えるくらい近いところにあったんです。知り合いが経営していたので、みんなタダでした。
――中学校は全校生徒が9人だったそうですが、地元の福井県大野市はどのようなところだったのですか?
ほんっとに・・・田舎でしたね(笑)。中学生くらいのときに市になったんですけど、それまでは和泉村でした。360度見渡す限り山なんですよ。山と川しかない。九頭竜川という福井でも大きい川の始まりの場所です。自転車でダムに行けます。今はできたんですけど、当時はコンビニがなかったです。友達の家も7km先でした。1時間かけて自転車で行って、山道を1時間半かけて帰りました。
――人口はどれくらいだったんですか?
500人くらいだった気がします。たぶん大半は会ったことがあります。少子高齢化が進み過ぎてる(笑)。たまに帰って散歩すると、10分で帰ってこられる道なのに、すれ違う人がほぼ知り合いなので、そのたびに話しかけられて40分くらいかかるんです。
奥村仁志は「3-3-5」でできました
――休日はどのように過ごされていることが多いですか?
家にいるよりは外にいることが多いですね。ここ最近だと後輩を連れて浅草や新大久保へ行きました。新大久保は良かったですね。好みのご飯がたくさんあって、韓国おでんがいい感じでした。
――量はめちゃくちゃ食べるんですか?
食べられる方だと思いますよ。ただ最近は減った方で、1食でご飯2合~3合くらいですね。
――それは減ったと言えるんですか(笑)。
一番食べていたのは大学1~2年の頃だったので。当時は1食4合~5合くらいですかね。
――それを3食ですか?
いやいや、さすがにそれは夜だけで。3(朝)3(昼)5(夜)くらいです。
――日ごろ自炊はされているんですか?
たまにですね。本当に鶏肉を焼くくらいで・・・。あとは近くの飲食店で食べています。近くに食べ放題の店があるので、この1カ月で4回行ってます(笑)。あとはすき焼きが好きなので、おすすめのお店があったら教えてください!
――最近ハマっていることがあったら教えてください。
完全に食べ歩きですね。都内を巡るのも好きですけど、試合でいろいろな場所に行くので、本当は全国各地の美味いものを味わいたいんです。だけど基本的に終わったらすぐに東京に戻るので、観光はあまりできないんです・・・。でも、たまに時間が取れたときは食べ歩きできるので楽しみまくっています(笑)。
気を遣わず、楽しい時間を過ごせる先輩
――自分以外で、おすすめの選手を紹介するならどなたですか?
やり投の長沼元選手ですね。大学の先輩で仲が良いんです。一緒にご飯も行ったりしますし、選手としても強い。身長はそんなに高くないんですけど、すごいスピードで走って、ダイナミックな投げをする。やり投の中では観ていて一番好きな選手です。性格も合うんですよ。ふざけ合ったりもしますし、先輩ですけど、気を遣わなくていいし楽しい時間を過ごせます。元気があって、ノリを共有できる人が好きなんです。自分もけっこうふざける感じなので(笑)。
――たしかに、競技中とのギャップを感じました。
競技に集中しているときとそうでないときの差がけっこう激しいですね。オフは笑いが絶えないようにしているんですけど、競技に集中しているオンのときは何も喋らないとかはよくあります。メリハリはつけているかもしれないです。そういうところも長沼さんはわかってくれているので、一緒にいやすい素敵な方ですね。
――最後に東京2025世界陸上を楽しみにしている読者の皆さんへメッセージをお願いします!
大学も東京にありますし、応援してくれる人や知り合いも多く来てくれると思うので、すごく楽しみにしています。海外で行われる世界陸上は遠いですけど、今回は気楽に観に行ける。たくさんの人に観に来てほしいなと思います。僕も出場できたら自分の全力をぶつけたいと思っているので、応援していただけるとすごくありがたいです。ぜひ国立競技場にお越しください。よろしくお願いします!
Instagram:dhitoshi_0324
text by Moritaka Ohashi
photographs by 椋尾 詩