沼倉 昌明(ぬまくら・まさあき)
1985年北海道生まれ。
筑波技術大学短期大学部を卒業後、トレンドマイクロ株式会社に所属。現在はアスリートとして活動する傍ら、筑波技術大学大学院修士課程技術科学研究科に在学中。
カシアス・ド・スル2022大会では団体で銀メダルを獲得し、男子ダブルスでは準決勝まで進出したが、日本選手団内でのコロナ感染拡大の影響により途中棄権となった。
日本デフバドミントン界を長年にわたり牽引し、数々の歴史をつくり上げてきた。これまでの集大成として、東京2025デフリンピックでの金メダルを目指している。
失恋がきっかけで真面目に練習するように
――バドミントンを始めたきっかけを教えてください。
通っていたろう学校にバドミントン部しかなかったんです。部活動には入らなくてはいけないルールで、仕方なく入部したのが競技を始めたきっかけです。バドミントンは子供のころに遊びでやったことがあるくらいで、きちんと競技としてやるのは初めてでした。
――バドミントンのどういうところが楽しいと感じたのですか?
半年くらいは嫌だなと思いながらやっていました(苦笑)。フットワークや走るといった体づくりの練習がとても退屈できつくて・・・。ただ続けていくうちに、今までできなかったことができるようになってきた。そういう経験を一つずつ重ねていくことで、楽しいと感じるようになりましたね。
――初めて公式戦に出たのはいつごろですか?
中学1年生の冬に新人戦があって、それが公式戦デビューだったと思います。ただすぐに負けてしまった。実は真面目に練習するようになったのが、高校に入ってからなんです。そこから試合でも勝てるようになったという感じです。
――それは何かきっかけがあったのですか?
恥ずかしい話なんですけど、失恋です(笑)。それをきっかけに「もっと強くなりたい」とバドミントンに専念しました。中学時代に付き合っていた初めての彼女だったんですけど、高校に入ってからお互いに学校生活が忙しくなってしまい、結果的に僕がフラれてしまったという形です。ただネガティブな動機の方がその後に長続きすると思うので、今思うと良い経験だったなと感じています。
現在の妻に勝負を挑んだ結果・・・
――ご自身の得意なプレースタイルを教えてください。
自分はどちらかと言うとパワーで押したいタイプなので、低空中戦に持ち込み、甘い球が来たらパワーで決めるスタイルですね。
――それは昔からのスタイルですか?
成人してからのスタイルですね。僕は筑波技術大学に入学したんですけど、部活は隣にある筑波大学のバドミントン部に入りました。実はそのとき、初めての挫折を味わったんです。今までとはレベルが違い過ぎて、全く付いていけなかった。筑波大学はインカレの優勝を目指している部活で、強い選手がたくさんいました。僕は北海道でベスト16には入ったんですけど、全然太刀打ちできなかった。それからしばらくバドミントンと離れて、10年くらいやっていませんでした。その後、29歳のときに今の妻と出会ったことをきっかけに復帰したという経緯があります。妻は大学の後輩にあたるんですけど、バドミントンが強いという噂を聞いていました。それで勝負を挑んだんですが、僕は負けてしまって・・・(苦笑)。悔しくて、「やってやろう」と復帰した感じです。
――(妻の)千紘選手も当時から強かったんですね。
そうなんです。妻はもうその頃から日本代表選手だったので強かったですね。
――現在は混合ダブルスで組まれていますが、メリットはどのようなところに感じますか?
いつも同じ空間にいるので、一緒にたくさんの練習をできます。試合が終わったあとに反省や課題について、他の人と比べてもいろいろ話をすることができます。それが僕にとってはメリットですね。
――一方でデメリットもありますか?
(妻の方を見て)・・・ないです(笑)。
メンタルは「技術」。大切なのは・・・
――緻密な競技である分、メンタル面がプレーに与える影響も大きいかと想像します。日々ご自身とはどのように向き合い、メンタル面を整えていますか?
メンタルは「技術」だと思っています。人間は誰しも弱い生き物です。恐怖は当たり前の感情なので、それをポジティブな考え方に切り替えることが大切だと思っています。これは技術が伴うものです。例えばプレッシャーがかかっている場合は、「みんな、自分に期待しているんだ。注目してくれているんだ。気持ちいい」という考え方に切り替えるみたいなイメージですね。
――大事な試合になると、なかなかそういう考え方に切り替えるのも難しいと思いますが、それは容易にできるものなのですか?
日ごろからそういう考え方に切り替える習慣をつけていないと、本番ではできないこともあるので、練習中から自分にプレッシャーをかけてやっています。例えばサーブの練習をするときでも、「デフリンピックで多くの人が見ている中、あと1点取ればメダルを獲得できるという場面をイメージして、絶対に失敗できない状況に追い込む感じです。自分でそういう状態をつくります。
――メンタルは技術という境地に立てるようになるまで、どのような経験の積み重ねがあったのでしょうか?
すぐにはできなかったです。あるとき、自分が思っていたけど、言語化できていなかったことをコーチに言ってもらって、ピンと来たんですね。「勝ちたい・倒したいという気持ちは実は大事ではない。勝ちたい気持ちは相手も誰でも持っていて、当たり前のこと。だから、大切なのはどうすれば勝てるか、点数を取るかを考えること」。そう言われて、それを意識するようにしてから、メンタルが安定してきたような感じがしています。
――ご自身の競技生活でターニングポイントとなった出来事があったら、理由も含めて教えてください。
僕は以前、公務員でした。2019年に世界ろう者バドミントン選手権で銅メダルを獲得して、もっと上を目指したいという気持ちが湧き出たんです。それがきっかけで公務員を辞めて、バドミントンを仕事としてやっていく覚悟を決めました。世界選手権でメダルを取ったこと、それが僕の中でのターニングポイントですね。
デフリンピックは「自己実現の場」
――2017年、2022年と過去2回デフリンピックに出場しています。ご自身にとってはどのような舞台ですか?
「自己実現の場」だと思います。僕が実現したいことは、きこえない人のロールモデルとして、自分を表現することなんです。ちょっと漠然とした答えかもしれませんが・・・。あとはきこえない子供たちやその親に夢を与えられる場だとも思います。
――東京2025デフリンピックでは、ご自身のどういうプレーに注目してほしいですか?
大会時に40歳になるんですけど、年齢はスポーツにおける背番号だと思っています。実年齢はスポーツにおいて関係ない。若い人にも負けないように、粘り強い、諦めないプレーをしていきたいと思います。
――東京2025デフリンピックでの目標を教えてください。
今までデフリンピックと世界ろう者選手権では銀と銅を取ってきたので、残すは金メダルのみです。団体、妻との混合ダブルス、男子ダブルスと全て金メダルを取って、お世話になった皆さんに恩返しをしたいです。
――東京2025デフリンピックで楽しみにしていることや期待していることがあったら教えてください。
デフリンピックはきこえない人たちに対する理解を広めるきっかけになると思います。きこえない人には手話で話す人もいれば、手話を使えず口話で話す人もいる。コミュニケーションを取るのでも、筆談や身振り手振り、アイコンタクトなど様々な方法があるんですね。それをきこえる人たちにも知っていただければ、デフリンピックが終わったあとも「きこえる人・きこえない人」に関係なく暮らしやすい社会が来るのではないかと楽しみにしています。
ラーメンのあとにパンを食べる!?
――ここからはプライベートについてもお伺いさせてください。休日はどのように過ごされていることが多いですか?
ドライブに行って、おいしいものを食べてくるという日が多いですね。ラーメンが大好きなので、家族と一緒に遠方まで食べにいったりもします。僕は新潟県の長岡市に住んでいるんですけど、最近は三条市までドライブして、ラーメンを食べてきました。美味しいラーメン屋がけっこうあるんですよね。ぜひ皆さんも行ってみてください(笑)。
――最近ハマっていることがあったら教えてください。
パン屋巡りをしています。ラーメンとパンの原料は小麦なので、そのつながりです。新潟にはおいしいパン屋もたくさんあるんですよね。ちなみに新潟はラーメンの消費額で2位でした。1位の山形県と競っている状況です。1位を取るために僕はラーメン屋を巡っています(笑)。
――小麦つながりは分かったんですけど、ラーメンからパンにも行ったきっかけは何かあったんですか?
ラーメンだけだと足りなくて、満腹感を得られなかったんですよね。どんぶりだとちょっと多すぎるんですが、パンはちょうどいい量なんですよ。ラーメンを食べたあとに、車でパン屋に行って食べるという感じです。
――まさかのラーメン&パンだったんですね(笑)。
その通りです(笑)。
息子がバドミントンをやるように刷り込みを・・・
――奥様の千紘さんとの馴れ初めを教えてください。
先ほども話しましたが、バドミントンの対決をして負けてしまったんですね。悔しさからその後も一緒に練習する機会が増えた。それから練習以外でも食事をしたり、いろいろな話をしたり、共に過ごす時間が多くなったんです。それで自然とお付き合いがスタートしたという感じです。
――どういうところに惹かれたのですか?
芯が強いところですかね。頑固なところもあったのですが、とにかくぶれない。そういうところが魅力的だなと思います。
――お子さんも昨年生まれたんですよね。
ちょうど10カ月になります。男の子で「碧(あお)」という名前です。サッカーの田中碧選手と同じ名前ですね。きこえる方にはピンとこないかもしれないですが、「あお」という言葉は、発声しやすいんです。最初から2文字というのは決めていて、何個か候補はあったんですけど、言いやすいという意味でも「あお」に決めました。もちろんそれだけではないんですけどね。
――お子さんにもバドミントンをやってほしいと思いますか?
息子もろう者なので、いずれデフバドミントンでメダルを取ってもらいたいな という気持ちはあります。もちろん強制はしないです。いつも妻と練習していて、碧も一緒にその場にいるので、刷り込みをしています(笑)。
刺激を受ける大学時代からの友人
――デフスポーツの認知度を上げるために、やっていきたいことはありますか?
以前と比べて講演会や体験会で、デフスポーツについてお話しする機会は増えてきましたが、もっとやりたいですね。あと以前は一般の中学校の外部指導員として、バドミントンを教えていたことがあります。手話通訳を介してコミュニケーションを取っていたんですけど、このとき部員たちは初めて手話を見たんです。そこからデフスポーツに興味を持った部員が何人かいました。
――中学生たちからはどんな反応がありましたか?
良い意味で反応はなく、普通に受け入れてくれた感じですね。もし機会と時間があれば、今後もまたこうした指導はやっていきたいなと思います。
――自分以外で、競技問わずおすすめの選手を紹介するならどなたですか?
デフ陸上ハンマー投の森本真敏選手です。同級生なんですよ。キャンプに一緒に行ったこともあって、彼は自前のサウナテントを持っているぐらいサウナ好きなんです(笑)。彼はアウトドアに関してはオタクですね。当時、森本選手は隣の筑波大学にいて、友人の紹介で知り合いました。森本選手は大学時代からも知られていた選手で、僕からは少し遠くにいる存在だなと思っていました。ただ、僕もデフリンピックに出られる選手になったので、今は会う機会も増えたし、友情が深まった感じはします。刺激を受けることも多いですね。
――最後に東京2025デフリンピックを楽しみにしている読者の皆さんへメッセージをお願いします!
デフリンピックは「コミュニケーションの祭典」だと僕は思っています。先ほども言ったようにきこえない方の中でも手話ができる人、できない人がいる。外国人とのコミュニケーションも様々な方法があるように、きこえる人ときこえない人にも多くの方法があります。それを観られるのがデフリンピック独自の魅力です。ぜひ皆さんにも観ていただき、気づいてほしいなと思っています。自分も皆さんの期待に応えられるように頑張っていくので、応援よろしくお願いします!
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Instagram:mnumacchi
text by Moritaka Ohashi
photographs by 椋尾 詩