村竹 ラシッド(むらたけ・らしっど)
2002年千葉県生まれ。男子110mハードル 日本記録保持者(13秒04)
松戸国際高校、順天堂大学卒。2024年4月より日本航空株式会社(JAL)所属。
高校3年時にインターハイを制し世代トップへ。大学入学後はさらに頭角を現し、2年時の2021年にはオリンピックの派遣標準記録を突破、3年時にはオレゴン2022大会で初の世界陸上出場。
4年時の2023年9月にはついに泉谷駿介の持つ日本記録13秒04に並び、かつてない盛り上がりを見せる男子110mH界の先頭を走る存在へ。
国内主要大会の優勝、そしてダイヤモンドリーグでの6位入賞など着実に成績を伸ばす2024年。パリ2024オリンピックでは日本選手初の決勝進出、そして短距離種目の歴代最高位となる5位入賞を果たす。
東京2025世界陸上でのメダル獲得が期待される筆頭株。
決勝前は「絶望的な気持ちだった」
――パリ2024オリンピックの男子110mHでは5位という結果を残しました。改めて振り返るとどのような大会だったと感じますか?
「オリンピックに出場したい」という思いと「決勝に進む」という目標のもと、ずっと練習をしてきました。それを達成できたこと、決勝もきちんと勝負できての5位だったことも含めて、ある程度の手応えがありました。メダルは取れませんでしたが、収穫が多い大会になったと思います。
――決勝に挑む前はどのような気持ちだったんですか?
アップしているときはけっこう絶望的な気持ちだったんです。本当にこれから走るのかと。これまでにないような緊張で、アップが終わるまでは憂鬱でした(笑)。「他の選手もギスギスしているんだろうな」と思って招集所に入ったら、全然そんなことなくて。走る前なのに健闘を称え合っていて、試合以外はノーサイドというスタンスでした。衝撃的だったし、それで緊張がほぐれた部分もありました。あと現地に母が来ていたんですけど、LINEで「顔が怖いぞ」と連絡が来て・・・。「もっと楽しんで、笑って」と言われました。せっかくの舞台ですし、「失うものは何もないから思い切り走ろう」とポジティブな思考に変えられた感じです。
――その気持ちが入場の際の「ジョジョ立ち」につながったんですか?
いや、あれ自体は前日からやろうと思っていたんです。来年JALに入社してくる鵜沢飛羽選手(パリ2024オリンピックの男子200mで準決勝に進出)がアニメ好きで、試合で名前を呼ばれるときによくそういうポーズをするんですね。前日の夜に鵜沢とご飯を食べていて、ふと「そういえば、いろいろなポーズをやってたよな」と思い出して、勝手に参考にさせてもらいました。ノア・ライルズ選手も『かめはめ波』とかをやっていて、観客も盛り上がる。それでいざやってみたら・・・想像以上の反響で(笑)。
――日本でもすごく話題になっていました。オリンピックを経験したことで変わった部分はありますか?
オリンピックはテレビで観るものと思っていたので、すごいパフォーマンスを発揮している選手と一緒に走るとなると、臆してしまう部分があったんです。でも実際に話してみると、親近感が湧きましたし、「僕らと同じ人間なんだ」と。同じようにその国の選手権や、各地で行われる前哨戦を経て、いろいろな思いを背負ってオリンピックに出場している。ただ化け物じみたパフォーマンスを披露しているわけじゃない。話してみて「臆する必要はないんだ」と気づきましたし、さらに上を目指すうえで、コミュニケーションを取るのはすごく重要なことだと感じました。
空中では基本サボってる!?
――これまでのキャリアについても伺わせてください。陸上競技を始めたきっかけは?
始めたのは小学5年生からですね。足が速い方だったので、先生たちから「陸上をやらないか」と言われていました。僕が通っていた小学校は4年生から部活に入ることができたんですけど、放課後に遊ぶことができなくなるので、断っていたんです。でも5年生になったときに、気まぐれで「そこまで言うんだったら」と入ってみたら、案外楽しかった。それが始めるきっかけになった感じです。
――中学のころは100mや走幅跳など他の種目もやられていたそうですが、その中で最終的にハードルを選んだ理由は何だったのでしょうか?
走ることもできるし、跳ぶこともできる。両方あるハードルへの興味は中1の頃から湧いていたんです。本格的にハードルを始めたのが中1の夏だったんですけど、練習のときにOBの高校生の方たちが遊びに来て、教えてもらうことになって。100m、走幅跳、ハードルと分かれていたんですけど、100mや走幅跳を希望する人が多くて、ハードルは全然いなかった。ちょうど興味が湧いている時期で、ハードルの競技人口もそんなに多くなかったので、「もしかしたら100mや走幅跳より戦えるかもしれない」と思って、実際にやってみたら思いのほかハマったんですね。それで練習を続けていくうちに、顧問の先生からも「向いているんじゃないか」と勧められたので、ハードルをメインでやっていこうとなりました。
――ハードルの楽しさと難しさはどのようなところにあると考えますか?
そうですね・・・全部難しいんですけど、例えばスタートから7歩~8歩でトップスピードに持っていく必要があるところや、ハードルに当たらないようにギリギリを攻めて、タイムをロスしないでいけるかというところ、ハードル間をいかに早く刻んで走れるかというようなところですね。個人的には、100mをフラットで走るよりは楽なんですよ。ハードルを跳んで空中にいるときは、基本サボっているので(笑)。
――え、跳んでいる瞬間って休めるんですか!?
写真や映像を見てもらえば分かるんですけど、あまり力んでいるような顔はしてないと思います。一瞬ではあるけど、ちゃんと息を入れられる。ハードルにはいろいろと難しさはありつつ、こうした技術面を極めていくことが逆にとても楽しいんです。僕は基本的に凝り性なんですよ(笑)。こだわりを持って追求することが好きで、そんな性格も競技に生かせていると思っています。
二つのターニングポイント
――競技人生の転機となった出来事は何かありますか?
二つあります。一つは高校2年生のとき。初めてインターハイに出場して、結果は8位と不完全燃焼でした。その後の秋のシーズンはU-18や関東新人など大会も目白押しで、それに向けて頑張ろうとしていたときに、腰椎分離を患ってしまって4カ月くらい動けなくなってしまったんです。楽しみな大会や修学旅行も控えていたので、かなり落ち込んでしまい・・・。ただ、顧問の先生が冷静で、「まだもう1年ある。焦らなくていいんじゃないか」と声をかけてくれたり、リハビリにも力を貸してくださったおかげで、年明けにはまたハードルを跳べるようになっていました。2月の大阪室内陸上では、腰の痛みは残りつつ、ちゃんと優勝することができたんです。こうした経験でケガに対する苦手意識が薄れてきました。休んでも目的を持ってトレーニングできることもある。試合に無理に出ず、ちゃんと休みを取る勇気を養うことができたんです。
――もう一つは?
東京2020オリンピックの出場を懸けた日本選手権でのフライングですね。僕にとっては、人生で一番悔しい試合でした。勝負して内定を勝ち取れなかったのではなく、スタートすら切れなかった。その現実がすごく悔しかったです。当時はメキメキ記録も伸びてきて、オリンピックに手が届きそうな位置にいた。試合のレベルも上がってきて、周りの対応も含めて急速に変化する環境に付いていけない自分の弱さが全部出た試合だったんです。なんとか時間を経て、このまま終わるわけにはいかないと思えるようになったので、翌年はオレゴン2022世界陸上に出場できましたし、今回のパリ2024オリンピックでも良い結果を残せました。この二つの出来事は大きなターニングポイントになりましたね。
――かつては「世界から一番遠い種目」と言われていた日本のハードルですが、ここ最近急速にレベルが上がってきました。それにはどういう理由があると考えますか?
僕はインフレに乗ってきたので、正直よく分かっていないんです(苦笑)。ただ、記録が徐々に出始めて、その選手の動きを参考にする人たちが現れてきた。この動きをモノにできれば、同じくらいの記録が出て、そうした選手たちが切磋琢磨して、ここまで来たのかなと考えています。人が人を呼ぶというか、いろいろな選手が出てきて、最近は中高生にまで伝播しているので、「インフレってすごいな」と思います。僕も様々な選手の良いところを吸収して自分のモノにしてきました。矢澤航さん、高山峻野選手、金井大旺さんのお三方からインフレが始まったと考えているので、高校生のときは日本選手権や世界大会の映像をよく観ていました。泉谷駿介選手もすごい動きをしているし、参考にしています。
陸上人気の起爆剤へ
――オレゴン2022世界陸上に出場したことは、ご自身にとってどのような経験になりましたか?
東京2020オリンピックに出場できなかった悔しさもあったので、オレゴンは自分の力で出場権をしっかり勝ち取ろうという思いのもと練習をやってきて、それを達成することができました。ただ、実際に内定してから少し気持ちが切れて、安心してしまった。そんな状態で本番を迎えて、「本当に世界陸上だ」と夢見心地のまま、気づいたら終わっていた感じです。当時は「世界陸上という舞台で走れたことが良かった」とコメントをしたと思うんですけど、一緒に出場した泉谷さんと石川周平選手は準決勝に進出していましたし、自分だけ予選落ちという事実に、後から沸々と悔しさが湧いてきました。
――世界陸上が東京で開催される意義はどんなところだと感じていますか?
今年いろいろと海外を巡って感じたんですけど、日本に比べて海外の陸上人気はかなり高かったんです。フランスもそうですし、ドイツもすごかった。日本でも陸上はメジャーではあるかもしれないですが、野球やサッカーに比べるとまだまだです。女子やり投の北口榛花選手がオリンピックで金メダルを取ったり、リレーも毎回決勝に残っていて、男女問わず競技のレベルは上がっています。そんな中で東京2025世界陸上を迎えるとあって、その高くなってきた競技レベルを日本の皆さんに見ていただく良い機会になると考えています。日本における陸上人気の起爆剤になればいいなと思います。
――東京での世界陸上の目標を教えてください。
メダルですね。今年オリンピックに出場して、入賞はできましたが、メダリストとの扱いは全然違いました。いくら自分が入賞して、今までの最高順位を更新しても、メダリストの前では影になってしまう。やっぱりメダルを取ってこそ示しがつくと思いますし、それを目指すうえで、より良い色のメダルを取りたいです。今までの世界陸上における男子短距離の最高成績は末續慎吾選手の3位(パリ2003大会)なので、それ以上の成績を収めて、皆さんの前に示したいですね。
あの頃の自分を反面教師に!
――ここからは村竹さんのプライベートな面をお聞かせください。小さな頃はどのような子供だったのでしょうか?
今よりすごく感情的で、よく泣いていましたね。負けず嫌いで、友達とゲームをしていても、負けると泣いてしまうことがありました。あとはよく先生に怒られていました(笑)。廊下を走って怒られ、掃除を真面目にやっていなくて怒られ・・・。小学校でトイレ掃除をやっていたときなんかも、仲の良いメンバーとふざけてホースで水を撒いていたら、担任の先生にぶわっと水をかけてしまったこともあります。
――今も感情的になることはあるんですか?
だいぶ抑えられましたね。高校生くらいからは理性的になっていると思います。今年はまだ一回も涙を流していませんし、感動して泣くことも去年以来ないです。
――ご自身の性格を表すとしたらどういう言葉になりそうですか?
いやぁ、それは自分で答えるのが難しいですね。会社の方でもコーチや監督でも、仲の良い友人でもできる限り丁寧に接するようには心がけているんですけど、どうかな・・・。
――インタビューもすごく丁寧に答えていただけているので、すごくありがたいです。
いえいえ、そんな(笑)。そのぶん家にいるときはすごくだらしないですよ。そこのギャップはあるかもしれません。
――こういうことはどなたからの教えなんですか?
小さい頃は迷惑をかけまくっていたので、その教訓だと思います。小さい頃の自分を反面教師にして、できる限り失礼のないよう丁寧に接しようと心がけています。ただ、この記事が出たときに「ほんとかよ」って思う人はいるかもしれないです(笑)。
凝り性がいつしか職業病レベルへ・・・
――幼い頃、陸上を始める前はどういう大人になりたいと思っていましたか?
特に何もなかったですね。今の生活が楽しければいい!みたいな。小学生のころ、将来の夢を聞かれることや、作文に書くことって多いじゃないですか。実はこの取材の前に、自分が通っていた小学校で講演があって、パワーポイントでスライドを作るために、卒業アルバムや文集なんかを見返したんですね。それぞれに将来の夢が書かれていたんですけど、学年ごとに見事に書いていることが違うんですよ。
――ちなみに何が書いてあったんですか?
「飲食業」とか「ゲームクリエイター」とか・・・、その二つの時点で全く違いますよね(笑)。あとは「コンピューターを使う仕事がしたい」とか、その時々によって違うので、適当なノリで生きてきたのかなって。熱しやすく冷めやすかったのかもしれないです。
――でも凝り性とは言っていましたよね。陸上を始めてからそうなったと?
そうかもしれないです。それがどんどん悪化してきてます。ハードルに対する突き詰め方とか、他にも出てきてしまう部分があるのかなと。職業病ですかね。
――日常生活にも出てきているんですか?
まさに今回作ったスライドがそうで。参考に見始めた卒業アルバムや文集をそんなにいっぱい読み込まなくてもいいのに、気付いたらほぼほぼ読みあさり・・・。1年生から6年生までいて知識の差もあるので、みんなが見やすいように平仮名で書いたり、難しい言葉を使わなかったり、子供たちが飽きないようにアニメーションを入れてみたり、動画や写真多めにしたり・・・。僕はゲームが好きで、そういう子も多いかなと思ったので、興味を持ってもらえるように自分がゲームをしているときの写真を載せたりもしました。作れば作るほど、どんどんアイディアが湧いてきて、これもあれも入れたい!というのが始まっちゃうんですよ。それで気づいたら夜中になっていて・・・ひどい病気ですよね(笑)。講演はうまくいって良かったんですけど、夜中にずっとパソコンを見ていたので、眠れなくなっちゃって。他に支障をきたすのは良くないですよね(苦笑)。
ハードラー=表は優しい、でも裏は・・・?
――ゲームはどういうものが好きなんですか?
ポケモンがすごく好きで、小学校のときからずっとやっています。受験勉強があった時期はやっていなかったんですけど、それ以外では新作が出たら必ず買っていますね。小学生のときは一つのソフトで累計400時間くらいやっていました。今は同じポケモンのゲームでできることの幅が広がってきているので、全種類のポケモンや通常の色とは違うレアな個体を集めたり。これも凝り性ですよね、ヤバいです(笑)。
――漫画やアニメも好きなようですが、おすすめはありますか?
『葬送のフリーレン』がすごく好きです。最近アニメ化もされましたよね。第1巻が出たとき、ちょうど本屋に行って面白そうな漫画がないか探していたんですよ。本の裏に書いてあるあらすじを見て、面白そうじゃんと思って買ったら見事にどハマりしました。今ではアニメ化もされて反響がすごいので、ちょっと古参ぶってます。「俺は最初から知ってるんだぞ」と(笑)。いや、いろいろな人に怒られそうだから書かないでくださいね!
――自分以外で、おすすめの選手を紹介するならどなたですか?
ハードラーは男女問わずみんな面白いです。男子の泉谷さんや高山さん、女子の福部真子選手、田中佑美選手も本当に個性豊かです。僕の勝手な印象なんですけど、ハードラーって表の部分ではみんな優しいんですね。ただ裏の部分ではけっこう個性が強い人が多くて(笑)。今挙げた人も会うたびに「キャラ立ってるなぁ」と思いますし、特に泉谷さん、福部さんは・・・。でももしかしたら、僕に対してもみんなそう思っているかもしれないですね(笑)。
――そうなんですね(笑)。では、最後に東京2025世界陸上を楽しみにしている読者の皆さんへメッセージをお願いします!
だいぶ語り尽くしたんですが、ここまで語り尽くしたものが、東京2025世界陸上に向けた思いです。より良い色のメダル獲得を目指して練習に取り組み、本番でそれを達成したい。そして、せっかく世界最高峰の大会が東京で開催されるので、会場やテレビでいろいろな種目を楽しんでもらい、世界レベルの陸上競技を肌で体感してもらいたいです。皆さんに楽しんでもらえるよう新しいポーズも考えておくので(笑)、応援よろしくお願いします!
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X:@rashi2ra__
text by Moritaka Ohashi
photographs by 椋尾 詩
- Q1.生年月日
- 2002年2月6日
- Q2.趣味
- ゲーム・ドライブ
- Q3.特技
- (少しだけ)スマブラ
- Q4.ニックネーム
- ラシ、ラシオ、ラッシー、ラシラシ いっぱいあります
- Q5.好きなアーティストや著名人
- MAN WITH A MISSION、前島亜美(声優・俳優)
- Q6.好きな食べ物・嫌いな食べ物
- 好き→家系ラーメン 嫌い→チーズ
- Q7.仲良し・好きな選手
- デビッド・オリバー(アメリカ合衆国 男子110mH)
- Q8.好きな言葉
- 不退転
- Q9.ズバリ東京2025での目標は!
- メダル獲得
- Q10.最後に一言
- メダルを獲る姿を観に来てください、お願いします!
インスタグラムで質問回答ムービー公開!
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