ジョイ・マッカーサー
1999年アメリカ合衆国カリフォルニア州生まれ。女子ハンマー投日本記録保持者(70m51)
ダナ・ヒルズ・ハイスクール、南カリフォルニア大学、同大学院卒。
父は元プロバスケットボール選手のエリック・マッカーサー。母は日本人。父が日本のチームでプレーしていたこともあり、生後5ヶ月で来日し、8歳まで愛知県名古屋市で育つ。
父の退団によりアメリカ合衆国カリフォルニア州へ帰国後、中学生時代に円盤投と砲丸投を始める。高校入学後、コーチの勧めを受けハンマー投を本格的に開始。日本記録更新など、今日に至るまで日本女子ハンマー投の歴史を塗り替える存在へと成長。
2024年6月に行われた日本選手権では連覇を果たし、東京2025世界陸上での活躍が期待される新時代のヒロイン。
何か上手になりたい。その何かがハンマーだった
――陸上競技を始めたきっかけを教えてください。
高校1年生まで、私はテニスをやってました。でもテニスは冬のスポーツ。友達から春も夏もスポーツをやらないといけないと言われて、それで一番簡単だと思ったのが陸上だったんです。陸上部でトライアウトを受けて、「上手になれるよ」と言われて最初は円盤投と砲丸投をやりました。2年ほどやってたんですけど、円盤投も砲丸投も上手じゃなかった。何かを上手になりたいなと思ってたところに、コーチから「ハンマー投をやりなさい」と言われて。やり始めたらけっこうすぐに上達して、そこからずっとハンマー投にハマってます。その何かがハンマーだったんだなと。
――同じ投擲種目でもやはり全然違うものですか?
砲丸投は強くないとできない。私は体重も軽かった。円盤投も動きが違う。ハンマー投はすぐにコネクトできたんですよね。砲丸投と円盤投は動きがいまいち理解できなかった。ハンマー投はそれが理解できて、「何かすごく気持ち良い動き、きれいで強い動きだな」と。動きを見てもらえれば分かると思います。これまでも他にテニスやバスケもやってきたんですけど、自分で選んだのはハンマー投だけなんです。人から言われるより、自分からやりたいと言った方が気合いも入るし、モチベーションも湧きますよね。
――ご自身のどういう特長がハンマー投に向いていると考えますか?
Oh~、良い質問(笑)。身長や筋肉のつくりはハンマー投に向いてると思います。あと諦めない気持ち。ハンマー投は本当に難しい競技。テクニックも進化してきてるから、我慢する力がないとできない。毎日が授業みたい。新しいことをたくさん学ぶので、諦めないという気合いも向いてると思います。
自信を持てるようになるのを待っててくれた
――「毎日が授業みたい」というのは、自分で投げて感じたことを変えていくイメージなのか、それともコーチから指示を受けることが多いのでしょうか?
両方あります。自分で「いい投げっぷりだな」と思って、そこから学ぶこともあるし、コーチと話し合って、「こうやった方がいい」と言われることもある。最近はトレーニング内容にも興味を持つようになって、自分から意見を出すようになりました。その方が上達も早くなる。毎日が勉強。私が考えてることは言葉に出さないとコーチも分からない。だから「私はこういう考えですよ」と言ったら、それでコラボレーションしてまた上達する。最近は嫌がられてもガンガン言うようになりました(笑)。
――それまではあまり自分の意見を言っていなかった?
コーチ(ダン・レンジ氏)がすごい人なので、意見なんて言えないと思ってました。コーチは「私たちは対等な関係だよ」と何回か言ってくれてたんだけど、私は自分のことを信じられてなかったから、意見も出せなかった。前は自分が考えてることを言うのが怖かった。子供のころ、自分から意見を出したら、みんなの反抗があった。大人になってからもそうした反抗が怖くて、自分から何かを言いたくなかった。だけどコーチにそのことを伝えたら、「そんなことないよ。ここは安全な場所だから自分が考えていることを言って」と。それからは自由に、自分らしい考え方をシェアしてます。
――自信がつくようなきっかけはあったのですか?
一気に変わったというより、徐々に言っていける関係をコーチがつくってくれた。自分が自信を持てるようにずっと待っててくれた。私は人が良いことを言ってくれてもあまり信じない。「嘘でしょ」と考えちゃう。だから自分で「自信を持ってる」と言うのが難しかった。それで悪い成績を出すのが怖かったから。でも最近は自信を持ててる。あとカウンセラーと話すセラピーを2年前から始めました。自分の怖いことや話したくないことをカウンセラーと話すんです。そういうこともあって成長できてると思います。
生きる意味を高めてくれた
――子供のころから自信がなかったのか?
なかったですね。そして「これをやりたい」「これに挑戦したい」というものがなかったから、ただ生きてただけだった。だからハンマー投が初めて「自分の人生を懸けたい」と思えるものだった。毎日上達したいし、ハンマー投に出会って、ちゃんと自分に向き合えるようになりました。生きる理由と言ったら大げさなんだけど、生きる意味を高めてくれたなと思います。
――生きる目的、人生を懸けるものが見つかったというのはすごく幸せなことですよね。
うん、楽しい! だからこうなって嬉しい!
――競技やっていてきついと思うことはありますか?
それはある(笑)。練習で全然うまくいかない日もあるから、きついと言うより、本当に悔しいときが多いです。思うようにいかないと怒るし、「どうしてできないんだ?」と感じることもある。悔しいときはずっと引きずることもある。ただ、私が考えているのは、自分の思うようにいってないときが一番成長できる時間だということ。だからそういう時期が来ると時々嬉しい。ここから成長できるなと。逆に、何も問題がないときが怖くなります。
――ご自身が理想とする「投げっぷり」はどういうイメージなのですか?
その時々によって変わります。だから「これだ」っていうものとはまだ出会ってない。私のテクニックの中でちょっと好きじゃない部分があるんですけど、シーズン中だから変えられないので、今の投げっぷりで挑戦しようと思ってます。何回か「これがベスト」という投げっぷりがあったんですけど、理想には遠いかな。日本記録を出したときでも違った。良い気持ちなんだけど、絶対にもっとあると思ってます。
――改善すべきところはどういう部分だと考えていますか?
肉体的に強くなること。体重を5キロくらいアップさせたいと思っています。あとはもう少しジャンプ力もつけたい。ハンマーを投げるときに4回回るんですけど、足の接地が力強く、短くつくという意味でジャンプ力が必要なんです。
神様は信じてないけど、日本に帰るルートができたのは運命
――22年2月に日本国籍を選択しています。一番の決め手となったことは?
日本だからです(笑)。U-20の大会にアメリカ代表で出たことがあって、当時は日本代表になれるということを知らなかった。私はUSC(南カリフォルニア大学)に通っていたんですけど、そのとき日本の男子400mの選手たちがトレーニングキャンプに来たんですね。そこで日本代表になれるという話を聞いて、すぐに決断しました。時間はかかったんですけど、ペーパーワークも全部やった(笑)。子供のころにアメリカに引っ越したあとも、ずっと日本に帰りたかった。アメリカは素敵な国だと思う。でも日本が恋しかった。私は神様を信じてないけど、このルートができたのは運命だなと思いました。
――日本の何が一番良いんですか?
街も人も食べ物も大好き。トランスポーテーション(交通)も本当に楽。日本に来るときはいつも嬉しい。トレーニングも日本でやりたいんですけど、コーチがいないとできないから今はアメリカでやるしかないんです。日本に来るのは、日本選手権のときくらいですかね。
――近いうちにぜひ帰ってきてください(笑)。
はい、帰ってきます!
――今後も日本代表として多くの大会に出場されると思います。国を代表する重みを感じることはありますか?
代表になるって大きいことだと思うので、私の中ではあまり考えないようにしています。ただ、国のために世界で戦えるようになりたい。来年は東京2025世界陸上があって、2026年には愛知・名古屋でアジア競技大会があるから、それを目指してます。今の記録では世界の選手たちとは比べられない。でも来年は戦えるようになりたい。パーソナルベストも75mは投げたいですね。
自分らしい投げ方ができたら、世の中で何でもできる
――世界陸上はご自身にとってどのような舞台だと感じますか?
去年のアジア競技大会が、自分が出た中で一番大きな大会だったんですけど、全然準備ができてなかった。大きなスタジアムで、スポットライトも当たって、観客もたくさんいた。今まで味わったことがない緊張感だった。とにかくすごい舞台だと思う。それをまた経験したいし、良い成績を出したい。そのステージで自分らしい投げ方ができたら、世の中で何でもできると思ってる(笑)。だから、それを目指してます。
――東京2025世界陸上の目標を教えてください。
誰でも勝ちたいと思うし、メダルを取りたいと思う。言うのは簡単だけど、1位になるには80mは投げないといけない。私はあと10mくらい記録を伸ばさないといけない。だから、今のところはファイナルに行くことが目標になると思う。2026年のアジア競技大会や2028年のオリンピックは違うけど、来年は自分らしい投げっぷりをすることと、ファイナルに行くことが目標になると思います。そのためのメンタルの準備は今年から始めた方がいいし、意識していきたいです。
――東京2025世界陸上で楽しみにしていることや期待していることがあったら教えてください。
日本にいられることです(笑)。こっちでトレーニングをしていないから、ホームと言うのは変かもしれないけど、日本人としてのプライドもある。チームメイトやコーチにも日本を見せてあげたい。それが本当に楽しみです!
東京を歩いてるだけのビデオを4時間
――ここからはプライベートなお話を伺わせてください。休日はどのように過ごされていることが多いですか?
本当に何もしてないです(笑)。仕事と練習をして、家に帰って料理をして食べる。ゲームが好きだから、それをやってるくらい。YouTubeでゲームをやってる人を見るのが好き(笑)。最近は友達とパズルをやった。あんまり外に出ない感じ。外に出るとお金かかるし、暑いし、人も多いから、家の中にいる方が好きです。
――どんなゲームをやるんですか?
Xboxだと『Overwatch』っていうゲームをけっこうやってて、携帯のゲームもやる。ゲーミングPCも買いたいんですけど、お金がかかるなと(笑)。
――それでYouTubeではゲームをやっている人を見ると。
そうそう(笑)。あとはコメディーを見たり。時々、東京をただ歩いているだけのビデオを4時間くらい見たりしています。それをBGMとしてつけてる感じです。
――最近ハマっていることがあったら教えてください。
あまりないかな。でも時々ハマるものがあって、そのときはルービックキューブだった。練習がうまくいってなかったとき、ルービックキューブをやって何も考えないようにしてました。あとはアニメや漫画なんかもハマるんですけど、見終わるとやることなくなる。
――漫画やアニメは何を観ていたんですか?
最近ハマったのは『ダンダダン』という漫画ですね。『進撃の巨人』も好きだった。あと『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』はボロ泣きした(笑)。
日本に来たら『星のカービィ』
――日本にいた子供の頃で一番印象に残っている思い出は何ですか?
やっぱり学校が印象的だったかな。友達がたくさんいたんですけど、アメリカに行くことになって、もう会えないことが本当に辛かった。子供のころの家や公園、買い物も好きだったから、そういうのが思い出に残ってます。
――日本に来たときに必ずやることはありますか?
『星のカービィ』が大好きだから、友達とガチャガチャをしてゲットします。絶対にカービィを買う(笑)。アメリカにないんですもん、可愛いの。あっても高い(笑)。あとはミスタードーナツに行く。とりあえず日本の食べ物をたくさん食べて、歩き回ります。あんまり自由時間がないけど、やれることはやります!
――ミスタードーナツはポン・デ・リングが好きなんでしたっけ?
はい、だから今日もこのあと行くつもり(笑)。肉まんも好きなんですけど、私が来る時期は日本選手権のとき(6月ごろ)だから、あんまり売ってないんですよね。あとは日本のパン屋さんは美味しい。アメリカとはちょっと違う。
――日本で好きな場所はありますか?
名古屋に住んでたんですけど、普通の街並みが好き。特別なスポットっていうより、全部きれいだと思う。でも桜は見たい。見たことないんですよ、その時期に日本に帰ってこられないから。花見に行ってみたいです。
日本は好きだけど、観光客が行くような場所をリサーチしたことがない。とりあえず知り合いに会って、「どこかいいところ連れてって」という感じです。去年は浅草とスカイツリーに連れて行ってもらいました。子供の頃は東京タワーかな。
自分のパフォーマンスで日本を誇りに思ってもらいたい
――自分以外で、おすすめの選手や尊敬する方を紹介するならどなたですか?
ハンマー投の選手になってから尊敬してるのは室伏広治さんとそのお父さんの重信さん。すごい人たちです。あとはやり投の北口榛花さん。2016年にポーランドで会ったんです。世界のトップで、やりをそんなに遠くまで投げられてすごいなと(笑)。ハンマー投だと男子の福田(翔大)くんも成績が上がってきてますよね。とても良い子なんです。
――日本代表の選手でよくお話される方はいらっしゃいますか?
日本代表になったばかりなので、まだあまり知らないんですけど、男子400mの選手ですかね。キャンプでアメリカに来ていた人たちは知り合いになったんです。(中島佑気)ジョセフは私が卒業した大学で練習してるので、時々話したりする。日本の大会でいろいろな選手に会うのが楽しみです。
――ご自身が一番影響を受けた人はどなたですか?
コーチですね。大学生のころ、自分が誰だか分からなかった。自信がなくて、自分が何をやりたいか、何になりたいか考えることもなかった。すごく病んでたとき。メンタルもフィジカルもテクニックも全部がスランプだった。だからコーチがずっと隣にいてくれて、たくさん助けてもらったんです。それで徐々にメンタル面も、自分自身を見る目も良くなりました。
――最後に東京2025世界陸上を楽しみにしている読者の皆さんへメッセージをお願いします!
2025年にはもっと遠くまで投げられるように、たくさんトレーニングしたいと思います。毎日それを忘れずに頑張って、自分のパフォーマンスによって日本の皆さんが私のことを誇りに思ってもらいたい。それを通じて皆さんが日本のことを誇りに思ってほしい。悪い成績を出してしまうんじゃないかという不安もある。でも、皆さんから誇りに思ってもらえるパフォーマンスをできるように頑張ります!
Instagram:joyiriis
text by Moritaka Ohashi
photographs by 椋尾 詩
共同制作:公益財団法人東京2025世界陸上財団