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ATHLETE
選手を知ろう

デフサッカー・林滉大 | 海外挑戦の道を拓いた「ファーストペンギン」の反骨心

2024.12.23

何事においても、初めての挑戦にはリスクが伴います。それを恐れず、大海に飛び込む勇敢さの持ち主を、人は敬意を込めて「ファーストペンギン」と称します。デフサッカー日本代表の林滉大選手は、まさにその呼び名に相応しい挑戦を続けてきました。2019年、デフの選手としては前例がなかったドイツのクラブに入団。2021-22シーズンには聴者もプレーする6部リーグで22ゴール10アシストという結果を残しました。2023年の第4回世界ろう者サッカー選手権大会(デフサッカーワールドカップ)では、男子日本代表として過去最高となる準優勝にも貢献しています。これまでも、そしてこれからも挑戦を続ける林選手に、東京2025デフリンピックに懸ける想いを伺いました。

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Gジャンを着て、まっすぐ見つめている林選手の写真

左を向いている林選手の写真

林 滉大(はやし・こうだい)
1996年埼玉県生まれ。与野蹴魂会所属。

中学校まで大宮ろう学園に通い、サッカーを続けるために高校から一般校へ。大宮東高校、亜細亜大学に進学。その後、株式会社メルカリとアスリート契約。
大学卒業から2023年までドイツでセミプロサッカー選手として活動。渡独後はデフサッカードイツ選手権で優勝、またDeaf champions leagueでアジア選手初の準優勝を果たし、ベストイレブンに選出されるなど活躍を見せる。
2023年にはデフサッカーW杯で日本史上初の準優勝の快挙。2024年には全日本ろう者サッカー選手権で優勝し、MVPに輝く。12月のアジア太平洋ろう者競技大会では12年ぶりの優勝にチームを導くなど、2025年に向け脂が乗る日本のエース。

 

ベッカムに憧れて

――サッカーを始めたきっかけを教えてください。

3、4歳のころから遊びではやっていたんですが、本格的に始めようと思ったのが2002年の日韓ワールドカップのときで、イングランド代表のデビッド・ベッカム選手に憧れたのがきっかけです。やっぱり華がある。顔ももちろんですが、背番号の7番もカッコよかった。ベッカム選手と言えば、右足のフリーキックやクロスなどのキックがすごかったですよね。僕も右足のキックが得意なので、自分の中にベッカム選手の影響が大きくあると感じています。

――ここ最近で参考にしている選手はいますか?

伊東純也選手ですね。日本代表の伊東選手と、デフ日本代表の僕の背番号が一緒で(笑)。勝手に意識しています。

芝生の上に座りインタビューに応える林選手

日本代表のユニフォームを着て試合に出ている林選手の写真
伊東純也選手と同じ背番号。
勝手に意識してしまう…
©JDFA

――ご自身が一番持ち味としているのはどのようなプレーですか?

ゴールにつながるプレーです。あとは足の速さやフィジカルの強さ。自分はうまい選手というより、強くて速い選手だと思っています。

――これまでの競技人生で転機となった出来事はありますか?

サムスン2017デフリンピックですね。この大会がきっかけで海外に行く決心をしたので・・・。自分のサッカー人生を考えたときに、日本でずっとサッカーをやるのはつまらないと思ったんです。デフリンピックで実際に初めて世界の選手たちと対峙したとき、すごく楽しかった。結果はベスト8に進出する目前で予選リーグ敗退に終わってしまったんですけど、その壁を乗り越えるためにも、海外でプレーしないといけないという気持ちが強くなりました。きこえる日本代表も、世界で活躍している選手が増えています。そのおかげで強くなってきている。それもあって、自分がファーストペンギンとして海外にチャレンジしようと決意したんです。

インタビューに応える林選手の写真

試合中、左腕をあげ他の選手に駆け寄っていく林選手の写真
転機となったサムスン2017デフリンピック。
ベスト8まであと一歩と迫りながら涙をのんだ
©JDFA

ドイツで22ゴール10アシスト

――その後、2019年にドイツへ渡ることになりますが、その決断に至った経緯は?

最初はもちろんイタリアやスペインも考えたんですよ。ただイタリアは守備を重視するので、後方からの指示を聞かないといけない。それがきこえない自分には不利に働いてしまう。スペインは日本と少し似ていて、チーム全体でという考え方が強い。対してドイツは、チームより個々のプレースタイルを重視しているので、自分に合うなと感じたんです。あとドイツには外国人枠がないので、いろいろな国の選手が集まってきている。そういうところも考慮しての決断でしたね。

――どういう基準でチームを選んだのですか?

ドイツでプロになることを目指していたので、最初の1年は耳がきこえないことに対して理解があるチームを優先して選びました。入団テストのときに、前もって自分がきこえないことをドイツ語で書いて示して、監督や選手に、自分ができること・できないことを説明したんです。それをみんな理解してくれたので、プレーもやりやすく無事に合格することができました。監督も学校の先生をやっている方で、ろう者に対して理解がありましたね。

芝生の上にあぐらをかいて座り、インタビューに応える林選手の写真

試合に出場している林選手の写真
自分のスタイルに合うドイツのチームに加入。
選手、監督ともにろう者への理解もあった
※ご本人提供

――実際にドイツでプレーして手応えはどうでしたか?

最初のチームは7部だったんですけど、リーグ戦が始まって2試合目で膝をケガしてしまって・・・。そこからしばらく試合に出られない状態が続きました。それで治るまでの間に、ケガをした原因を自分なりに分析して、身体能力に課題があることにたどり着いたんです。以前は全くやっていなかったんですけど、ケガしてからは筋トレに力を入れるようになりました。その身体づくりが功を奏して、復帰してからは、ほぼ毎試合ゴールかアシストという結果を残せるようになりましたね。

――2シーズン目以降、着実にステップアップしていきましたが、レベルはどうでしたか?

コロナの影響もあり、1シーズン目は途中でリーグ戦が中止になってしまい、日本に帰らざるをえなかったんですけど、2021年夏にドイツに戻って、6部のチームに入りました。チームは最終的に降格してしまいましたが、僕自身はリーグ戦30試合に出場して、22ゴール10アシストという結果を残せたんです。それによって翌シーズンは5部のチームでプレーすることができました。ただ、5部は本当にレベルが高かった。アンダー世代の代表選手や、トップリーグでプレーした経験のある選手もいて・・・。僕も途中出場が多くなってしまったんですけど、周りのレベルが高いので、練習でも試合でも常に刺激を受けていましたね。

壁に寄りかかり、反対側を向いている林選手の写真

林選手が今まで在籍したチームのユニフォームやメダル、スパイクなどの写真

試合に出場中、右手で指を指し指示を送っている林選手の写真
ドイツ6部では30試合で22ゴール10アシストと大活躍。
翌シーズンは5部にステップアップした
※ご本人提供

W杯準優勝=金メダル獲得へのステップ

――昨年のデフサッカーW杯で日本は準優勝という快挙を成し遂げました。ご自身の経験はどのように生かせたと感じますか?

コロナの影響で、国際大会が5年ほど開催されていなかったんですね。だからW杯の代表メンバーの半分は国際大会の経験がない選手たちでした。事前合宿ではケガの影響もありプレーで示すことができなかったんですけど、他国の情報を積極的に発信していました。海外チームと対戦する際はどのようにプレーしたらいいかを伝えていましたね。自分が先に行っていたことで、W杯前には湯野琉世選手が短期留学でドイツに来ました。彼は今もドイツでプレーしていますよ。

――準優勝という結果はどのように受け止めていますか?

正直、びっくりしました。戦い方がハマった感じですね。調子の良い選手もいれば、悪い選手もいました。その中でうまく選手を組み合わせて、それがピタッとハマった。あとは5年ぶりの国際大会ということで、みんなかなり燃えていたんですね。ちょうどその大会から今のサッカー日本代表と同じユニフォームになったので、それに恥じないように。監督もスタッフも選手も一体となっていたのも決勝まで進めた要因でした。

芝生の上にあぐらをかいてインタビューに応える林選手の写真

日本代表戦で相手選手とヘディングで竸っている林選手の写真
W杯では過去最高の準優勝。
チーム一体となって達成した快挙だった
©JDFA

――東京2025デフリンピックでは多くのチームからマークされる立場になると思います。チームとしてどういう部分をより高めたいですか?

W杯準優勝という結果が、デフリンピックで金メダルを獲得するためのステップになったと思っています。W杯で優勝していたら、きっと大きなプレッシャーを感じながらプレーすることになっていました。準優勝という結果だったからこそ、「デフリンピックで金メダル」という大きな目標ができた。チームとして高める部分については、相手のやり方に合わせずに自分たちのサッカーできるようにしないといけない。W杯の予選リーグでは相手のやり方に合わせていて、うまくいかない部分があったんです。ただ決勝トーナメントに入ってからは、自分たちのサッカーをやるんだという雰囲気に変わってきた。それで決勝まで勝ち進むことができました。チームとしての練度を高めていけば、魅力的なサッカーもできるし、金メダルも絶対に取れると信じています。

芝生の上でボールに足をかけ、遠くを見つめている林選手の写真

 

デフサッカーの命運を左右する大会

――林選手にとって、デフリンピックはどのような大会でしょうか?

僕が出場したのはサムスン2017デフリンピックですが、そのときから日本代表のレベルは確実に上がっています。4年に1回の大会ですし、成長を見せる大会だと思っています。今までの指導者や仲間に観てもらえる機会なので、今の自分は違う、大きく成長したことを示したいです。

――林選手にとっても転機となったサムスン2017デフリンピックで、日本代表は史上初の勝利を挙げながら、予選リーグ敗退に終わりました。どのような教訓を得ましたか?

初戦はウクライナに2-1で勝って、2戦目のアルゼンチン戦は0-2から引き分けに持ち込みました。3戦目のイタリア戦では引き分け以上で決勝トーナメント進出にできるという状況の中、2-0からの逆転負けで予選リーグ敗退となりました・・・。サッカーは甘くないというのを感じましたし、「まだベスト8に入るのは早いんだぞ」と言われているようでした。
ただその経験があったおかげで、W杯準優勝という結果につながっていますし、選手それぞれの意識、協会やデフサッカー界自体が大きく変わるきっかけになりましたね。

遠くを見つめる林選手のセピア色写真
デフリンピックは成長を示す場。
悔しさを味わった2017年とは違う姿を見せたい

――東京2025デフリンピックで期待していること、楽しみにしていることはありますか?

日本代表のユニフォームを着てプレーすることは楽しみですし、もちろん金メダルを取らなければいけないと思っています。そして、今後のデフサッカーの命運を左右する大会になるとも捉えています。W杯準優勝という結果によって、デフサッカーをプレーする選手も増えて、今の日本代表はW杯から半分近くメンバーが変わっている。そのぶん競争も激しくなっています。自分自身もメンバーに残れるか分からないので、きちんとトレーニングして日本代表に選ばれるように頑張りたいと思います!

右手にボールを抱え、こちらを向いて笑っている林選手の写真

 

裏表がなさすぎて、代表を外されたことも

――ここからはプライベートな面を伺わせてください。小さい頃はどのような子供でしたか?

めっちゃ暴れん坊でした(笑)。外で遊ぶのが好きでしたし、いろいろなものを壊していましたね。

――暴れん坊だったエピソードはありますか?

あっ、活発と言った方がいいかな(笑)。活発過ぎて頭の傷が多いかもしれないです。走って鉄棒にぶつかったり、階段から落ちたり、とにかくケガが絶えなかったですね。親は何でもチャレンジさせてくれる人で、けっこう放任されていました。サッカー以外では水泳もやっていました。小学校に上がる前から5年生までやっていて、もし続けていたら、水泳でデフリンピックの日本代表に入っていたかもしれないですね(笑)。本当にそのくらいタイムも良かったんですよ。

――サッカー以外のことをやりたいなと思った時期はありますか?

遊びでは野球もやっていました。父親が甲子園にも出たことがあるんですよ。大学も野球が強いところで、父親は野球をやらせたかったと思います。さりげなくグローブやボールを近くに置かれたりしたので・・・。でも実際に僕もやってみたら、野球のセンスが全然なくて(笑)。そんなときにサッカーをやってみたら案外うまくなったということで、父親も諦めてサッカーに専念させてくれました。

サッカーボールの石像を抱えて、しゃがんでこちらを向いて微笑んでいる林選手の写真

左側にお父様と幼少期の林選手の写真、右側にお母様と幼少期の梨をを持った林選手の写真のコラージュ画像
父親は甲子園にも出たほど野球好きだったが、
「センスがなかった」と林選手はサッカーを選択
※ご本人提供

――ご自身の性格はどのように分析していますか?

表裏がないですね。良い意味でも悪い意味でも素直です。思ったことが口から出ちゃうんです。デフサッカーの日本代表に入ってから、それが原因でメンバーから外されたことがあるんですよ・・・。思ったことをそのまま言い過ぎて、チームメイトや監督に迷惑をかけてしまいました。

――そこからどのように意識を変えたんですか?

まさにこれから代表選手としてやっていこうと意気込んでいたときに外されてしまったので、そのときに改めて大人の世界の常識やマナーを覚えた感じです。人の気持ちをすごく考えるようになりましたね・・・。当時は本当に自己中心的で(苦笑)。そういう時代もありながら、今の自分がつくられていった感じです。しっかり大人になれた・・・はずです!

遠くを見つめている林選手のセピア色写真

大きな壁の前でGジャンを握りながらこちらを見つめている林選手の写真
代表に入りたてのころは自己中心的だった。
今ではしっかり大人に・・・?

妻からのフィードバック「守備が軽い」

――休日はどのように過ごされていることが多いですか?

家族と一緒に出掛けることが多いですね。僕はインドアなんですけど、妻(俳優の長井恵里さん)がアウトドア派で、それに僕が付いていってます。時には家で休みたいと思うときもありますが、やっぱり楽しいですし、連れ出してくれるのはありがたいなと思っています。

――奥様とのお付き合いはいつ頃から始まったんですか?

2017年のデフリンピックのときくらいからですね。入籍したのが2021年8月11日です。付き合った記念日に入籍しました。先日、子供も生まれて・・・めっちゃ可愛いです(笑)。自分の子供が生まれるとやっぱり違いますね。今まで特にそんなことなかったのですが、他の子供にも興味を持つようになりましたし、すごく可愛いと思うようになりました。自分でもびっくりです。

――父親になって変わったことはありますか?

責任感も生まれましたし、「大黒柱として家族の支えにならないとな」という気持ちが強くなりましたね。男の子なので、これから一緒にサッカーをできるかと思うと嬉しくてワクワクしてしまいます。うまく誘導して、絶対にサッカーを始めさせます(笑)。

サッカーゴールの脇に座り斜め上を見上げている林選手の写真
先日、第一子が誕生。
いつか一緒にサッカーをやりたいと夢見る

 

――さりげなくサッカーボールを置いたり?

そう(笑)。生まれたときからサッカーボールを持たせています。

――お子さんと一緒にできるようになるまでサッカー選手でいたいですね。

そのころまでサッカーを続けていると思うので、息子がサッカーをやりたいと思うようなプレーを見せたいです。大きくなったらたぶんドイツに行かせます(笑)。

――お子さんにサッカーをやらせることは、奥様も納得されているんですか?

大丈夫です。妻も僕と付き合うようになってからはサッカーの知識が増えていて、僕の試合を観てフィードバックをできるレベルになっているんです。自分も言われて「なるほど」と勉強になることもあります。

――実際に奥様からフィードバックを受けて、どういうことに気づかされたんですか?

「守備が軽い」と言われたんですよ(笑)。「絶対にこの場面はボール取れるでしょ」って。よく観てますよね。そのおかげで、課題だった守備面を克服できたんです。
最近は「もっとゴール決めてくれると嬉しいな〜」と言われます。来年の東京2025デフリンピックではたくさんゴールを決めて、妻を喜ばせたいですね。

芝生の上にあぐらをかいて座り、手話でインタビューに応える林選手の写真

林選手と奥様が海外の海辺で撮った写真

試合後に奥様と日の丸の国旗を持って写る林選手の写真
妻は俳優の長井恵里さん。
付き合い始めてからサッカーに詳しくなり、
今では試合のフィードバックをできるまでに
※ご本人提供

とびっきりのスマイルが魅力のボランチ

――自分以外で、代表でのおすすめの選手を紹介するならどなたですか?

岡田拓也選手と湯野選手ですね。岡田選手は趣味や持っているものがだいたい被ってるんです。プライベートでも会っていますし、サッカーの話から車や服や香水まで話が合うんですよ。共通点が多くて、とにかく仲が良い。
湯野選手は3歳下なんですけど、スマイルがとにかく魅力。全世界を笑顔にさせるようなとびっきりのスマイルなんです。中身もすごく熱い人間です。今はドイツにいるからなかなか会えてはいないんですけど、ほぼ毎日LINEしています。

――湯野選手とはいつごろに出会ったんですか?

湯野選手は2018年にデフサッカーを始めたんですね。そのときは新しい選手だなと思った程度でした。それから僕はすぐにドイツに行ってしまったので、一緒にプレーすることもなかった。ただ彼が短期留学でドイツに来て、ほぼ毎日一緒にいることになって。それでかなり仲良くなった感じですね。
最近はすごくうまくいっているみたいです。湯野選手のポジションはボランチで、ドイツでプレーする日本人にとっては難しいポジションなんですね。それを問題なくプレーできているのは本当にすごい。オールマイティーにいろいろなポジションができるのも魅力です。ぜひ注目してください!

サッカーゴールの前で岡田選手と一緒に写る林選手の写真

スタジアムでビールとホットドッグを持っている湯野選手と林選手の写真と、代表のユニフォームでメダルを手にしている湯野選手と林選手の写真のコラージュ画像
プライベートでも仲が良い岡田選手と湯野選手。
代表でのコンビネーションにも注目だ
※ご本人提供

――最後に東京2025デフリンピックを楽しみにしている読者の皆さんへメッセージをお願いします!

自分にとって最初で最後の日本開催のデフリンピックになると思います。そのデフリンピックを、自分の競技人生でベストな年齢のときに迎えられる。今まで関わった方々に自分の最高の姿を見せられるのが、とにかく楽しみです。デフスポーツも、きこえる人たちと同等のレベルでやっているということを、たくさんの人たちに知ってもらいたい。音のない状態で、本当にきこえないの?と思わせるくらいのプレーを見せてくれるのがデフスポーツの魅力。それを会場で感じながら、ぜひ応援していただきたいです。
僕は高校3年間サッカー部にいましたが、きこえないことを理解してもらえず、全く試合に出られなかった。その悔しさがサッカーを続けている理由の一つにもなっています。それでもサッカーを辞めなかったですし、その悔しさを乗り越えたからこそ今があると考えています。同じように苦しんでいるデフの子供たちへ、自分が輝ける場があるんだということを示したい。デフリンピックという舞台で、子供たちの夢や目標になれるように全力を尽くします。Jヴィレッジでともに戦いましょう!

サッカーゴールの脇に座りこちらを向いて微笑んでいる林選手の写真

大きくボールを蹴ろうとしている林選手の写真

横を向いている林選手のセピア色写真

岡田選手と胸を突き合わせて撮った林選手の写真

ユニフォームやスパイクと一緒に写る林選手の写真

サッカーゴールの脇に座り、遠くを見つめている林選手の写真

スパイクの写真

林選手アップの写真

 

Instagram:kodai.14_official
X:@hys1996k

text by Moritaka Ohashi
photographs by 椋尾 詩

 10 questions アスリートに聞く10の質問
 10 questions アスリートに聞く10の質問

Q1.生年月日
1996年10月19日
Q2.趣味
犬の散歩
Q3.特技
自分で自分の髪を切ること
Q4.ニックネーム
ポーダイ
Q5.好きなアーティストや著名人
長井恵里
Q6.好きな食べ物・嫌いな食べ物
好き→うどん 嫌い→パクチー
Q7.仲良し・好きな選手
岡田拓也 (デフサッカー)
Q8.好きな言葉
自分を信じろ!
Q9.ズバリ東京2025での目標は!
金メダルを獲る!世界一を獲る!
Q10.最後に一言
デフサッカーの応援よろしくお願いします!

インスタグラムにて質問回答ムービー公開!
Instagram:TOKYO FORWARD 2025|世界陸上・デフリンピック

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