中川 亮(デザイナー)|「SUGOI」が世界の共通語になる大会に
2024.11.27
写真家
2024.02.09
水槽の中を覗き込むかのように、
写真家・齋藤陽道は、透き通った瞳で一つひとつを確認していた。
まるで、見るものすべてが初めてであるかのように。
世界とつながったときから、彼の世界にはたくさんのことばがあふれている。
ファインダーを通じて、彼は世界に目を傾ける。
今日も、何かが、誰かが、彼に語りかけているのだろう。
―陽道さんは、なぜ写真家になられたのでしょう?
陽道 もともと写真は嫌いなんです。撮るのも撮られるのも。幼年期は発音訓練を受けていました。その先生からは「補聴器をして口話を読みとりなさい」「手話は恥ずかしいことだからやめなさい」と言われてきました。でも、補聴器なので聞き取りには限界があり、どうしようもなくなっていました。高校に上がるとき、たまたま近くにあった石神井ろう学校へ「もうここでいいや」と投げやりな気持ちで入学したのですが、そこで手話というものに出会いました。
音声では、悩みながら人の話をきいていたのですが、手話はもうそんな悩みもなく、相手の言っていることがすぐにわかるし、ぼくの言っていることもすぐ伝わります。心から感動しました。話をするのが楽しくて、毎日が楽しくて、この時間を何かに残したい。そう思って、手話で話しているところを写真に撮ったのがきっかけです。最初は「写ルンです」で撮っていましたが、やっぱり使い捨てカメラだと、ぼくが思う手話のイメージを撮ることができないんです。もっとぼくのイメージに近づけて撮りたいと思ったのが、カメラを勉強しようとなったきっかけです。
―それがだんだん、本格的にのめりこんでいった?
陽道 とにかく自分のイメージ通りの手話を撮りたいっていう、その一心で勉強を始めたのですが、だんだん道具とかもいいのが欲しくなって。少しずつカメラも買って技術も学びながら、このカメラだとこれができる、逆にこれはできないんだ、じゃあもっといいカメラ欲しいな・・・みたいな感じで。一年半、大阪の写真専門学校にも通ったんですが、やっぱり情報保障も手話通訳もない。だから、とにかく見て盗むみたいな感じでやっていましたね。学校では機材をいろいろ借りて使いまくって、図書室にある本をたくさん読んだりとかしていました。
―学校を卒業してすぐに写真家に?
陽道 一度はサラリーマンになりました。インターネットの通信販売みたいな業界で、ウェブの更新をしたりしていました。真面目なサラリーマンじゃ全然なかったんですけど。その間もずっと写真は続けていて、休みの日は写真を撮ってました。3年間ぐらい務めた後に会社を辞めて、雪山で住み込みでアルバイトをしていましたが、その間もずーっと写真を撮っていました。
写真コンテストにも応募してたんですが、キヤノン写真新世紀で「タイヤ」という写真で佳作をとりました。次の年には「同類」という写真で優秀賞をいただきました。並行して写真集を出すことになったのですが、それが23歳のときです。
―書籍のタイトルにもされている「せかいはことば」には、どんな思いが込められているのでしょうか。
陽道 例えば今、なんにもないようなところを撮る。それを見て、しばらく時間をおいて、またあらためてその写真を見る。そうすると、特別な気持ちが起きてくるんです。なんだろう・・・写真がことばを発してるような。世界を見て、見えるものすべてが「ことば」としてあるのかなと、そんな風に感じたりします。
(指をさして)そこにコードありますよね、ぐにゃぐにゃって。普段なら見過ごすようなものであっても、写真に収めて、じっくりと見るとき、何かがそそがれます。コードのうねりが不思議に見えたり、色のきれいさにあらためて気づいたり。それもまた、「ことば」なんだと思います。
―いろいろな被写体を撮られていますが、こういうものを撮りたい、というものはありますか?
陽道 今、面白いと思って撮っているのは「子供」です。小さな子供と、(両手を広げて)大きな世界との結びつきが見える写真を撮るのが面白いです。
―光が照らす空間に、ほこりが舞う赤ちゃんの写真は印象的です。
陽道 生まれて1~2ヶ月の赤ちゃんの上にほこりがかかってて、宇宙みたいだなと思ったんです。小さなもの、ことばのない・弱いと思われやすい存在が、本当は宇宙のような大きな大きな世界とつながる、というのがぼくの写真のテーマです。きれいなものをきれいに撮る、ということに興味はないです。小さき存在と、壮大なイメージがつながるような写真を撮ること。それがすごく面白いし、好きです。
―ウェブ企画「こここ」のコーナー※では、様々な職業のろう者を紹介されていますが、この企画を実施した理由は何でしょう?
陽道 ろう学校の先生が言っていたことがずっと頭に残っていました。「本当はろう者だっていろんな仕事に就くことができる。でも、実際にどこでどんな仕事について、どう働いているかっていう情報はほとんどない。だから、事務だとか単純な作業をする仕事だとか、そんな仕事のイメージしかもてていない」。
ぼくも幅広い職業のイメージがもてていなかったんですが、社会に出たら、いろんな職業に就いているろう者がいました。いろいろな仕事をしているろう者がいるということを、一つにまとめたものを作らなくてはならないと思ったのがきっかけです。
※福祉を訪ねるクリエイティブマガジン「こここ」/「働くろう者を訪ねて」:
働くろう者を紹介し、さまざまな人を訪ねながらポートレート撮影とインタビューを重ねていく連載シリーズ。
https://co-coco.jp/series/hataraku/
―日本中あちこちの方を取材されていますね。
陽道 そうです。友達の紹介が多いですかね。もっと更新を早くすればいいんですが、時間がかかるし結構大変なので。でもやるしかないですね。頑張ります。
―写真だけではなく、映像もあえて載せています。なぜでしょう?
陽道 その人の手話を載せた方が、人としてのイメージをもっとやわらかく伝えることができるからと思ったからです。手話がわからなくても、その話しぶりのリズムを見ているうちに伝わってくるものもあるはずだと思っています。テロップや字幕は一切使いませんし、音声も省いています。
ろう学校の子たちから「こんな仕事もできるんだ」という声もいただきました。ただ、ろう者本人だけが知るだけでは足りなくて。ろう者の周りにいる大人たちのイメージが変わることこそが大事なんです。ろうの子どもがやりたいと言っても、周りの大人が「そんな仕事をしているろう者はいないから無理。だからやめなさい」と言ったら、もうそこで夢が潰えてしまう。この『働くろう者を訪ねて』を見て、こうやっていろいろな仕事ができるんだという知識を少しでも持っていれば、もし無理と言われても「違う」と言い返せるし、周りの人間も「無理」「できない」とは言いにくくなる。そういう効果を生み出せる意義が大きいんじゃないかなと思ってます。
―障害者プロレス団体「ドッグレッグス」に所属されてるんですか!?
陽道 ぼく自身、プロレスに興味はないんです。もともとドッグレッグス自体は知っていて、そこに集まってるレスラーたちがとにかくかっこいいなと思って惹かれていました。なんやかんやでその団体に遊びに行ったら、なんやかんやで所属することになりました。
―実際に試合に出たことも?
陽道 はい。所属するための唯一の条件が「障害がある」ことなんですが、ろう者は一人だと健常者と変わりなく見えてしまうということで、最初にドッグレッグスに参加しようとしていた友達と「コンビになってほしい」と言われたことで、ぼくも参加することになりました。
本当に、いろんな障害のある人と試合をしました。印象に残ってるのは、胸から下が動かない人との試合です。同じ条件でやるために、ぼくは足も手も縛られて闘う。頭突き合戦になって、負けました。いい試合でした。
―意外な一面です。
陽道 試合が終わった後にリングで写真を撮るんですが、それがとても良い写真なんです。その写真を撮るために戦うっていう感じですね。いろんな身体障害がある人の中で、ぼくは筆談するわけですが、盲目だったり、手が動かなかったり、欠損していたりで筆談できない人がいます。会話ができないってことですね。でも、リングに立ったら、全力で体をぶつけ合うことで、コミュニケーションになっている。1ラウンド3分なんですが、たった3分なのに、試合のあとに撮る写真はとてもいい。体を通したコミュニケーションもあるんだと信じられるようになりました。
―テレビアニメ「しゅわわん!」※は、陽道さんの子育てにまつわる絵日記をアニメ化したものです。お子さんが生まれたことは陽道さんにとってどんなインパクトを与えたのでしょう?
陽道 感動はもちろんあるんですけど、それよりも不安が大きかったんです。手話を使う自分は、子供をどのようにして育てることができるのか? 手話による育児の情報はほとんどありませんでした。
※手話アニメーション「しゅわわん!」:
齋藤陽道の育児日記をアニメ化。ろう者の妻と、二人の聴者の息子(当時)との間で繰り広げられる親子の豊かなコミュニケーションやユーモラスな日常を描く。NHK Eテレで随時配信中。
https://www.nhk.jp/p/shuwawan/ts/9L3764QVYG/
―なぜ絵日記を書こうと考えたのですか?
陽道 ことばが通じることを当たり前のこととは考えず、一つひとつ大切に残していきたいなと思いました。それで下手でもいいから、とにかく漫画を描いて、記録を残そうと思い立ったんです。4~5年ぐらい、毎日漫画で日記をつけていました。ろう者による手話での育児の記録がほとんどないので、後世に残せたらいいなという思いもあって書き続けることができました。子ども可愛さだけでは続けられなかったです。
―では、お子さんとうまくいかなかったことも書いてある?
陽道 子供はきこえるので、耳からきいて日本語を習得します。日本語から手話に翻訳する必要があるのですが、子供は頭の中で混乱してるみたいです。例えば・・・『るそや』。
―『るそや』???
陽道 子供が、手話で『るそや』を見たいって言うんです。だから、『るそや』って何?ってきいたんです。でも、子供はなんて説明すればいいかわからず、『るそや』見たい!と一点張りなんです。見たい、わからない、見たい、わからないって繰り返して結局最後は泣き出してしまった・・・。
だから、質問の仕方を変えてみました。それはどんな形?どんな色なの?って。そうしたら「リュウソウジャー」という戦隊ヒーローのことだとわかったんです。「リュ」を「る」、「ソウ」を「そ」、「ジャー」を「や」と音をまとめていたんですね。そのとき、子供はたしか2歳か3歳頃だったと思います。日本語と手話とで混乱しつつも、頑張って伝えようとしてたのがすごいなと思ったし、同時に、大変だなとも思いました。
―2025年のデフリンピックに、どんなことを期待しますか?
陽道 一人でも多くの人が、「ありがとう」の手話をすっと使えるような、そんな雰囲気をつくれるように盛り上げていってほしいですね。「ありがとう」とか簡単な手話なら知っている人はいるかと思うんですが、いつ言えばいいのか、戸惑っているなと思う場面にいくつか遭遇します。あ、この人外国人だなってわかったらThank youってさっと出るように、「あ、この人きこえないんだな」ってわかったら、すぐに手話が出るような雰囲気になるといいなと思います。
―陽道さんは、どんな写真家でいたいですか?
陽道 「何やってるかわからない人」って、そんな風に思われたらいいですね。
齋藤 陽道(さいとう はるみち)/1983年 東京都生まれ
写真家
都立石神井ろう学校卒業。2020年から熊本県在住。陽ノ道として障害者プロレス団体「ドッグレッグス」所属。
2010年、写真新世紀優秀賞受賞。2013年、ワタリウム美術館にて個展。2014年、日本写真協会新人賞受賞。
写真集『感動』、続編の『感動、』(赤々舎)で木村伊兵衛写真賞最終候補。
『よっちぼっち』(暮らしの手帖社)、『ゆびのすうじ へーんしん』(アリス館)、『育児まんが日記 せかいはことば』(ナナロク社)、『異なり記念日』(医学書院・シリーズ ケアをひらく、第73回毎日出版文化賞企画部門受賞)、『声めぐり』(晶文社)など刊行。
2022年にはNHK Eテレ「おかあさんといっしょ」のエンディング曲『きんらきら ぽん』の作詞を担当。写真家、文筆家としてだけでなく活動の幅を広げている。
Instagram:harumichisaito
X:@saitoharumichi
Website:齋藤 陽道
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