さとり(スターバックス コーヒー nonowa国立店ASM)|大好きな自分で、光り輝くために
2024.10.22
ホワイトハンドコーラスNIPPON
2024.06.20
去る2月、オーストリアの国連ウィーン事務局で開催された「Zero Project Conference 2024」の閉会式で、ベートーヴェンの「第九」を披露したホワイトハンドコーラスNIPPON。障害の有無に関係なく子供たちが生き生きと音楽を心から楽しむ演奏は会場にいた多くの人々を魅了した。
なぜホワイトハンドコーラスNIPPONの演奏は観る人の胸を打ち、心を揺さぶるのだろうか。
ホワイトハンドコーラスNIPPONが届けるメッセージとは―。
―はじめに、ホワイトハンドコーラスNIPPONとはどんな団体なのでしょうか?
コロン ホワイトハンドコーラスNIPPONはインクルーシブな合唱団で、聴覚や視覚、身体発達など、いろんな障害のある子供と障害のない子供が一緒に音楽を楽しんで舞台をつくる団体です。東京、京都、沖縄の3カ所に拠点があり、メンバーはもうすぐ100名に届きます。そのうち6割の子供たちに障害があって、年齢は6歳から18歳が中心ですね。でも、心が18歳であれば大人でも活動できます(笑)。
合唱団は声隊(こえたい)とサイン隊があり、声隊は合唱をし、サイン隊は白い手袋をして手話で音楽を視覚的に表現します。これを、私たちは“手歌(しゅか)”と呼んでいます。サイン隊はろう者の子供たちが中心ですが、きこえる子供も一緒に参加しています。誰でも得意不得意があるので、自分の得意なことを活かして参加してもらう形ですね。
―コロンさんがホワイトハンドコーラスを知ったのはいつ頃で、どのように感じましたか?
コロン ホワイトハンドコーラスと出合ったのは、たしか2010年ぐらい。もともとはベネズエラが発祥なんです。公害によってろう者が多く生まれた街があり、彼らと一緒に社会をつくっていくためにコミュニケーションの問題をどうクリアしていくか・・・という社会課題を抱えていたんですね。そこで、音楽院がホワイトハンドコーラスという表現方法を思いついたのが始まりです。
ホワイトハンドコーラスに出合うずっと以前に、私は音楽の勉強をしていました。その頃、「音楽は万国共通」という言葉があるのに対して、私はろう者がコンサートに来ているのを見たことがなかったんです。きこえない人も一緒に楽しめないなら、音楽は万国共通とは言えないんじゃないか? という疑問があったんですね。大好きな音楽をきこえない人とも分かち合える方法はないのか・・・という思いをずっと持っていたので、ホワイトハンドコーラスに出合ったときは『これだ!』と。自分の想像を遥かに超えて、心から音楽を楽しんでいるろう者の姿を見たときに、「これほど美しい音楽の形はない」ととても感動しました。
―ホワイトハンドコーラスNIPPONでは手歌監修とサイン隊の講師を「日本ろう者劇団」顧問の井崎哲也さんが務めています。井崎さんにお願いしたのはなぜですか?
コロン 手話に限らず、何かを訳すときには直訳できないことがたくさんあります。そのときは、本当に伝えたいメッセージは何かを考えて、それを相手に伝わるように訳さなければなりません。そこにはクリエイティブな部分と想像力、相手を理解し伝える力が必要です。音楽も歌詞をそのまま直訳しただけでは全く伝わりません。
ただの手話の歌ではなく、もっと手話の持っている力強さや表現の広がり、可能性を生かした作品をつくりたくて。それを実現してくれるのは井崎先生しかいない、とお願いしたんです。井崎先生は「視覚の表現」というものをずっと極めてきたプロ中のプロ。言語として手話がある中で、さらにもっと深いサインマイム※の表現や役者としての表現力を持っている方なんです。その力に頼らせてもらっています。
※サインマイム:手話(サイン)の要素とパントマイムの特徴を合わせてつくり出された表現方法。言語的意味を持つ手話と異なり、指、手、腕、そして表情を交え、情景や心理まで描写する。
―井崎さんはそのお話をコロンさんから聞いたときに、率直にどのように思いましたか?
井崎 初めて話を聞いたときは「断りたい」という気持ちが強かったです。というのも、音楽に対してコンプレックスがあったんです。なぜかというと、ひとつはこれまで音楽はきこえる人がきこえない人に教えてあげているような状況があったから。音楽は聴者がカウントして、それにろう者は合わせるので、聴者のおかげでろう者は音楽ができているんだぞ、という考え方の人がこれまで何人もいました。そうした状況に私はずっと違和感があったんです。だから、歌や音楽を好意的に受け取ることができませんでした。
もうひとつは、ろう学校での体験です。私が通っていた学校では毎年一回学芸会があり、生徒たちは楽器の演奏を披露します。そのため、母が私に木琴を買ってくれました。ピカピカの木琴がうれしくて、一生懸命練習をしました。 ・・・ですが、いざ本番となったら多くの視線が気になってしまって上手に演奏することができませんでした。演奏が終わったあとで先生に厳しく叱られたのがとてもショックで・・・。以来、ずっと音楽は嫌いで苦手でしたので、初めは拒絶反応がありました。でも、えりかさんがホワイトハンドコーラスのビデオを見せてくれたときに、ろう者も音楽を表現できることにとても驚きました。えりかさんがホワイトハンドコーラスについて一生懸命説明して「一緒にやろうよ」と言ってくれて。最後は・・・歌ってくれたんです。
―え、それはどういうことですか?
コロン 井崎先生には一度断られたんです(笑)。だけど諦めきれなかったので、もう「目の前で歌う」しかないなと思ったんですよ。言葉を超えたコミュニケーション、音楽の力を信じて『被爆のマリアに捧げる讃歌〜アベマリア』を歌いました。
井崎 えりかさんが歌ったとき、これはなんだ!と。鳥肌が立ったような感覚で、感動すら覚えました。聞こえないのに伝わってくるんです。それは初めての体験で本当に震えました。歌を通して、えりかさんの熱意が伝わってきたんです。だから、引き受けることにしたんです。えりかさんに出会ったことで音楽に対する考え方が変わりましたし、多分、他の人だったらこうはならなかったと思いますね。
―井崎さんを口説き落せたのはまさに音楽の力ですね。コロンさんは以前にもろう者と音楽を通したコミュニケーションの経験があったのでしょうか。
コロン 私が初めてろう者と出会ったのは、学生時代に教育実習で2日間だけ行ったろう学校でした。そこで子供たちが私に好きなことは何?と聞くので、「何も考えずに歌うのが好き」と答えたら、やってみてって言われたんです。私は6歳からずっと音楽の舞台に立っていたにも関わらず、そのとき初めて、どうしたらいいのか困ってしまって・・・。「とにかく目を見て歌うしかないな」と一か八かで歌い始めたら、その瞬間に子供たちが体を私のほうに乗り出してきたんです。あぁ、この子たちは目で聞こうとしていると感じて、とても感動したんです。目を合わせていると何か通じ合うものがあり、そのときに“聞こえなかったら音楽はわからない”というのは嘘だと直感的に思ったんです。ただ、当時はそれが何か?というところまではわかりませんでした。
ホワイトハンドコーラスNIPPONは、音楽の音の響きやリズムを楽しむだけでなく、音楽をつくって届ける側になります。そのつくって届けるプロセスを通して、きこえない人も音楽は楽しめるということを確信したんです。以前の直感とは違って、これは確信です。きこえない人がいるおかげで音楽の可能性が広がるし、きこえる人でも、音楽が見えたらいいのにと思う人は大勢います。ろう者の子供たちが歌を絵にしていく。その素晴らしさは一つの芸術として音楽に新たな境地を開いてくれる、大事な大事な存在なんです。
―ホワイトハンドコーラスNIPPONではどのようにして曲をつくり上げていくのでしょうか。
コロン 声隊は楽譜があるので、まずは楽譜を覚えます。目の見えにくい子は耳で覚え、歌詞を覚えたら次に音を覚えて、楽譜に沿って歌えるようにしていく。スムーズに歌えるようになったら、表現力を高めていくために歌詞の意味や、音楽に描かれているメッセージを読み解いて、どんどん声の「色」をつくっていき表現を磨いていきます。最終段階でサイン隊の手歌と合わせるときに、サイン隊は「なぜこの歌詞をこう訳しているのか」を説明します。声隊とサイン隊が一緒になることで、より歌の意味や解釈が深まり、表現が一層磨かれていくんです。その過程を見るのは、いつも胸が高鳴りますね。
―サイン隊ではどのように進めているのでしょうか。
井崎 自由な発想で、言葉と表現を身につけられるようにしています。例えば「魚を獲る」という場合、どんなふうに表現できるのかを子供たちに聞いてみると、釣り竿で釣る、リールで釣り上げる、網ですくう、モリで刺すなど、いろんな方法が出てくるんです。それをどう手で表現するかを一緒に考えます。手で表現すること・伝えることの面白さを感じ、遊び感覚で楽しめるようになってくると、いろいろな意見を出してくれるようになるんですよ。そこで出てきたアイディアから選択して、表現を磨いていきます。子供たちはきこえないけれど「音楽は楽しい」と思って参加していて、そのきこえないことを積極的にうまく楽しんでいるようにも感じています。練習に参加していくうちに少しずつ自信がついてくると、手話が生き生きとしてくるんですよ!
―たくさんの子供たちが所属していますが、子供たちと接するときに心がけていることはなんですか?
コロン 創作の現場では子供扱いはせずに、「ともにつくる対等な関係」として接しています。ワークショップで手歌をつくっていると、大人が使っている手話とは違う新しい表現がたくさん出てきます。子供たちは新しい時代の感覚を持って生活しているので、手話も進化しているんですよ。その感覚は大人が絶対に潰していけないところです。
井崎 私は褒めて伸ばすということですね。というのも、40年前にアメリカのろう者の劇団に参加したことがあるんですが、そこでの教え方は日本とは全く違っていて、とにかく良いところを褒めるというものでした。アメリカではそれが一般的ですが、日本の場合はできないところを“そこは違う”と非難するような指導が多かった。怒られるのは私も嫌なので、褒めて伸ばす方法を取り入れています。
―子供たちの「新しい感覚」をどんなところで実感したのでしょうか?
コロン この2月に、障害者権利条約の考えを広める団体や企業に贈られる「Zero Project Award」を受賞しました。その「Zero Project」には讃歌があり、19の手話言語に訳されています。でも、まだ日本手話版がなかったので、私たちがオフィシャルの日本手話版を手歌でつくろう! という話になったんです。その曲には、「障害は社会がつくっているもので、障害がある人たちにバリアは必要ない」という歌詞があります。日本では障害者を手話で表すと、“壊れた人々”という意味にもとれる表現がずっと使われてきています。オフィシャルの日本手話版であれば、「正しく」訳すためにその手話を使わなければならない、というのが私たち大人の考えでした。でも、子供たちが「私はきこえないけど壊れてなんかいない。それなのに、どうして壊れた人と言われなくてはいけなの? こんな言葉を使うのは嫌だ」と言い始めたんです。その時にハッとしました。子供たちのその意見にどう応えるか、今度は大人が問われるわけですよね。子供たちに“壊れた人々”という手話を使わせるわけにはいかないと気付かされたんです。「障害者は壊れてなんかいないんだ、壊れているのは社会の方だ」という意識を広げていかなくては、と強く思いました。そこから議論を重ねて、何カ月もかけて壊れた人々に代わる訳を探して、ようやく子供たちの意見を取り入れて“個性のあるいろいろな人々”としました。日本だけでなく、国際手話でも障害者は「手がない」と表現されています。間違えた考えが入った言葉は無意識のうちに偏った考え方を運んでいます。それを変えていくことは大事なことだと痛感しました。
井崎 私自身、障害者を“壊れた人”と表す手話に慣れてしまっていたので、子供たちの意見に衝撃を受けましたし、そういう考えもあるのか、勇気を持っているなと驚きました。私の世代は口話を覚えなくてはいけないなど、きこえる世界に合わせていくことが多かったですが、今は若い人たちの力で少しずつ変わってきています。子供たちの意見になるほどと思い、えりかさんと子供たちと一緒に新しい表現の言葉を考えました。
―子供たちから学ぶことはたくさんありますね。ホワイトハンドコーラスNIPPONの活動を通して子供たちは成長し、変化していくと思います。間近で見ていて心に残っているエピソードはありますか?
コロン もう、たくさんありすぎます(笑)。ひとつは、京都に住む難聴の女の子の話です。合唱団に入ったのは小学校の低学年でしたが、当時お母さまは、彼女を手話か口話のどちらで育てるかをずっと悩んでいました。けれど、合唱団で手話の言葉遣いや正しい表現、語彙などを学んでいくうちに、手話を使う人のアイデンティティを再確認したんですね。人に受け入れられる。その体験によって変わったんです。
今、彼女は小学校6年生ですが、“自分の人生は自分で決める”という意思をしっかりと持っています。京都市長を表敬訪問したときには、手紙で「ろう学校にきちんと手話ができる先生を配置してください」と伝えているんです。小学生ですが、この社会は自分たちでつくっていかなくてはいけないし、変えられるところは変えなくてはいけないという気持ちがあるんです。合唱団での経験は、舞台でパフォーマンスをするだけではなくて、みんな社会の大事な一員なのだから、社会のことは自分たちで決めていかなくてはいけないという気持ちが芽生えて、自信にもなっているのだと感じています。
―子供たちが成長をすると、その子供たちを取り巻く大人たちも変化するのではないでしょうか。
コロン 子供たちの親の立場のエピソードを紹介しますね。私たちは練習のときから、舞台の上では大人は手助けをせずに子供同士がお互いを助け合うようにしています。目が全く見えない子もいますが、舞台の立ち位置などを手引きするのは子供同士です。ある舞台で、きこえて目も見える子が全盲のAちゃんという子を手引きすることになったんです。その舞台は立ち位置がどんどん変わり、複雑で覚えることが多く、現場もピリピリしていました。そんななかで誰かが「あの子は目が見えないから、どうせ立つ位置を覚えられないよ」って言ったのを手引きする子が聞いてしまったんです。私のところに泣きながらやってきて「どうして目が見えないだけで、誰よりも先に歌詞を覚えて私たちが頼りにしているAちゃんにそんなひどいことを言うの? 悔しいから、本番は絶対に私が間違わずに手引きをして完璧なパフォーマンスを一緒にします」と言うんです。
その話を聞いてから、Aちゃんのお母さまに事情を説明して様子を聞いたら、「あの子なら大丈夫ですよ。そういうことは日常茶飯事なので。小さい頃から全部受け入れて生活しているので平気です」と。Aちゃんは目の見えない体が自分のアイデンティティの一部であり、誇りであって。「どういう自分でありたいか」が大事で、他の人からどう見られているかは関係ないんです。それを聞いて、また手引きをした子が驚くわけです。その子のお母さまからお手紙をもらったのですが、「私は子供を育てるときに、つい他の子供と比べてきてしまったので、本人も、何をするにも自分と人と比べるクセがついてしまい、いつしか自信を失ってしまった。自分のアイデンティティをしっかり持って生きているAちゃんに、どれほど大事なことを教わったかわからない。本当に手引きをされていたのは私たちの方でした」と・・・。こうした気づきは、いろいろな人が関わり繋がって初めて生まれるもの。対等な関係で何かを一緒に取り組むことが、どれほどみんなの学びになるかを改めて感じたエピソードです。
―「Zero Project Conference 2024」の閉会式でベートーヴェンの「第九(歓喜の歌)」を披露しました。この曲に込めた思いを教えてください。
コロン ベートーヴェンが作った「第九」は世界で初めての人間の声による「歌」が入った交響曲で、歌詞は詩人・シラーの詩が元になっていますが、最初の歌詞は実はベートーヴェン自身が書き加えています。それは「違う、今までのような音楽じゃないんだ」という否定から入って、「今までの音楽ではないもっと喜びに溢れた歌を歌おうではないか」という歌詞です。第九の“歓喜”というのは、ただ楽しいということではなくて、『人間の社会にある痛みや分断、自然に生まれてしまう思い込みなどを全部乗り越えた先に、分かち合える喜びがあるんだ』というメッセージなんです。歌詞にあるように、私にとっても乗り越えた先で分かち合った喜びというのは一番のご褒美。いろいろな子供たちと同じ喜びを一緒に感じられることは、すごく大事なこと。感動したことをいろんな人と分かち合いたいという気持ちが私の原動力になっています。
井崎 第九を演奏することになるまで、私はこの曲の深い意味を考えたことがありませんでした。だから、どうして今も世界中で演奏されるんだろう、と不思議に思っていたんですよ。演奏することが決まったときには実は入院していたのですが、そこにえりかさんが第九に関する本を持ってきてくれました。それを読んで深い意味を理解したら、心の奥底から意欲がわいてきて。勢いそのままに「ぜひ舞台に立ちたい!」とえりかさんに提案したんです。
コロン 舞台ではベートーヴェンが書き加えたパートを、バリトンの歌手がソロで歌います。声のソリストが4人いるので、サイン隊のソリストも4人。そのうち2人がきこえる人、2人はきこえない人にすればお互いに支え合いながらできるかなと考えていたんです。だけど、先生が「絶対4人ともろう者じゃないと駄目だ」と。それを聞いてなるほどと思いました。では誰がこの大事な役をする?となったとき、井崎先生は指導する立場だからやってもらえないだろうと思っていたら、先生からやりたいと言ってくださって。日本のろう文化やろう者の持っていた痛み、例えば手話が学校で禁止されていた時代も全部知っている井崎先生。その歴史が体に入っている方が“今までのような音楽じゃない”と始める第九は本当にピッタリで・・・。今ある世界の音楽の枠を壊すものになると思ったんです。だから、井崎先生に舞台に立ちたいと言われたときには感動で涙が出てしまいました。
―ホワイトハンドコーラスNIPPONは国内外で公演を重ね、どんどん活動の幅を広げています。今後の活動の目指すところを教えてください。
コロン 子供たちは次の海外公演はいつですか?って言っています(笑)。もちろん、世界中の人たちに日本手話の美しい表現を見てもらいたいという気持ちはあります。それと同時に、ろう者のなかには井崎先生のようにきこえる人の音楽を押し付けられて音楽が嫌いになったという人たちもいる中で、もっともっと「音楽は人を繋ぐもの」で、きこえない人もきこえる人も一緒に楽しめるんだよということを世界中の子供たちに知ってもらいたい。そのために活動拠点を広げていくにはどうしたらいいのか、活動のモデルを今つくっているところです。
井崎 私はホワイトハンドコーラスに出合って音楽が好きになったことで、ろう者が音楽を楽しむ方法はもっとあるのではないかと思うようになりました。それが手拍子をとったり体を揺らしてグルーブをつくるものなのか、あるいは一斉に足を上げたり手をあげたりなのか。どういうスタイルなのかを模索中です。きこえない人に合う方法を見つけて、それを広めていきたい。聴者が持っていなくてろう者が持っているものを芸術的に表したいですし、手歌を綺麗に表現したいですね。
―ホワイトハンドコーラスNIPPONの活動を通して伝えたいことはなんでしょうか?
コロン 日本社会は障害がある人への合理的配慮の提供が努力義務から義務になりました。制度づくりがどんどん先に進んでいるのは素晴らしいことですが、まだまだ人のバリアフリーの意識は追いついていません。そういう状況では、合理的配慮が義務となると重い気持ちになってしまう人たちがいると思うんです。ダイバーシティやインクルージョン、エクイティというのは爆発的なイノベーションを生む元になることに気づいてほしいんです。ホワイトハンドコーラスの子供たちはまさにインクルージョンの未来を舞台上で実現して、インクルーシブの社会は楽しいんだよということを見せてくれています。日本の社会も私達がつくっている舞台の上のように楽しい場所にしていけるはずですし、安心できる場所にしていけるはずです。だからまずは、ホワイトハンドコーラスの舞台を見に来てインクルージョンの未来を覗いて欲しいです。
井崎 きこえない人たちのなかには、音楽が嫌いという人もまだまだ多いです。以前はきこえる人たちの歌を見て合わないなと感じることも多く、音楽活動は金儲けだという考え方が確かにありました。それはもう古いです。でも、まだその考えは今もきこえない世界でははびこっているのも事実なので、きこえる人にも手話がもっと広がり、お互いを知ることができればいいなと思っています。きこえない人の「歌は面白くない」という固定観念をなくしたい。それには、きこえる子供もきこえない子供も笑顔で音楽を楽しんでいる姿というのは大きな影響力があります。だから、個性をもったいろいろな子供たちが笑顔で楽しめる活動をしていきたいです。
―2025年には東京でデフリンピックは開催されます。デフリンピックに期待することを教えてください。
コロン オーストリアで体験型写真展「第九のきせき」を開催したときに、子供たちは外国語が話せなくても一生懸命自分たちの知っている手話表現でコミュニケーションを取り、体や手の動き、顔の表情だけで第九の歌詞の意味を外国の方々に説明しました。その様子を見て、言語や文化は大事に守らないといけない部分もあるけれども、それを突き抜けた「繋がりたい」という気持ちの尊さに感動しました。いろいろな国のろう者が日本に訪れることで、いろいろな繋がりができて、日本の子供たちの世界が広がっていくことをとても楽しみに期待しています。
井崎 2025年は第1回目のデフリンピックがフランスで開催されてから、ちょうど100年です。その記念の大会の中で1曲でもいいので手歌で表現できたらいいなと思っていて。関係者に合う機会があるたびに想いを伝えて、影響を強めていきたいです(笑)。
コロン えりか(ころん えりか)/1979年 ベネズエラ生まれ
ホワイトハンドコーラスNIPPON代表理事・芸術監督/ソプラノ歌手
聖心女子大学、大学院で教育学を学んだ後、英国王立音楽院声楽科修士課程を卒業。2019年東京国際声楽コンクールにて史上初グランプリ・歌曲両部門で優勝。2020年キングレコードより「BRIDGE」をリリース。イタリア、フランス、イギリスでの音楽祭出演、国内外で演奏活動を続けながら、ホワイトハンドコーラスNIPPONの芸術監督として視覚・聴覚など障害のある子どもたちに音楽を教えている。4児の母。
Instagram:erikacolonsoprano
X:@erikacolonnn
井崎 哲也(いざき てつや)/1952年 佐賀県生まれ
ホワイトハンドコーラスNIPPON手歌監修・サイン隊講師/日本ろう劇団顧問、俳優
東京教育大学付属聾学校卒業。1980年「日本ろう者劇団」設立のメンバー。1982年にアメリカのプロろう者劇団「ナショナル・シアター・オブ・ザ・デフ」のメンバーとして1年半参加。帰国後、「日本ろう者劇団」に復帰。「社会福祉法人トット基金 トット文化館」の手話教室講師を務める。2022年にNHKで放送した『しずかちゃんとパパ』に出演。
Instagram:tetsuyaizaki
<ホワイトハンドコーラスNIPPON>
Web:https://elsistemaconnect.or.jp/activity/whc-nippon/index.html
X:@WHCNconnect
text by 木村 理恵子
photographs by 椋尾 詩
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